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久万オーナーのスカタン発言には伏線があった 社長より俺が偉い!元阪神社長語る【5】

阪神・中村新監督(右)の門出で「強いタイガースを育ててほしい」と激励する村山前監督(左)と久万オーナー=1989年10月
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 元阪神球団社長の三好一彦氏(90)が、かつて全力を注いだ球団経営を振り返り、今に伝え遺す阪神昔話「三好一彦の遺言」の第5話は、中村勝広監督をシーズン途中で辞任に追い込んだ久万オーナーのスカタン発言-。

 三好「何であんなこと言ったのか知りませんが“中村の采配はスカタンや”は厳しい言い方ですわね。中村もそれを聞いて辞めたんですわ」

 衝撃の発言が飛び出したのは1995年7月17日。この日、低迷するチームの打開策を検討するため、久万-三好によるトップ会談が大阪・野田の電鉄本社で行われた。

 その後、久万は次のようなコメントを報道陣へ向けて発した。

 《中村監督に対する信頼は変わってませんよ。常識人で気が利くし、変なこともしない。ただ作戦がスカタンですが…》

 チームは開幕から低空飛行を続け、すでに夏場に入っていた。球団創設60周年のメモリアルシーズンに力が入る本社。中村への風当たりは日増しに強まっていった。

 トップ会談が行われたとはいえ、チーム状況は1日で好転するはずもなく、翌18日の巨人戦にも敗北。久万は「勝てないんだからスカタンはスカタン」とたたみかけた。

 進退窮まった中村。もはや腹を固めざるを得ず、前半戦終了と同時に辞任した。途中で投げ出すことだけは避けたかったが、それも叶わなかった。

 有終の8連敗による前半戦終了時の成績は29勝48敗。勝率・377。

 5シーズン半の通算成績は321勝406敗4分。勝率・442。言い訳のできない厳しい数字だった。

 中村は90年の監督就任以来、6、6、2、4、4位。前後を含めた長い低迷期に1度とはいえ、チームをAクラスに導いている。

 話は前年の秋に遡るが、中村の続投は久万の独断だった。

 だが、決断に至る経緯からは、どこか感情のもつれのようなものがうかがえる。

 三好「94年のことです。ある新聞に“中村は今季限り”という記事が出ましてね。私は何も言ってないのに、私が決めたような感じで。それを記者から聞いたオーナーが激怒しまして。“あいつ(三好自身)は勝手なことをしよる”と。そして(報道陣を前にして)“社長よりも俺の方が偉い。監督と球団社長を決めるのは俺や”みたいなことをおしゃってね。私に事情も聞かずに。困りました」

 中村の6年目は、こうして一瞬のうちに決まった。

 久万の信任の厚かった三好にとっては意外な展開だった。

 三好は74年から本社の秘書部長の立場で、田中隆造オーナーや小津正次郎球団社長に随行し、やや距離を置くようにしてタイガースを見守った。

 久万が田中を引き継いだ後は、特命使者として水面下で動くこともあった。社外取締役時代も含めて久万との信頼関係は、それなりに強固なものだった。

 三好「(久万オーナーは)もともと野球には興味がなかったんですが、92年のフィーバーで観客動員数が(前年の182万人から)285万人ぐらいになり経営的によかった。毎日満員でしたし、ビジネスとして興味が沸き、熱心になっていったんです」

 ビジネスとしてタイガースを利用するのは経営者として当然だろう。だが、戦う集団を整えるための知識やノウハウは明らかに乏しかった。

 三好「そのうちに優勝できなかったら監督を代えろとか、中村は長いのと違うかとか、一般論として、いろいろ耳に入ってきたんでしょうね。外から智恵を持ってくる人もいまして。徐々に私に相談しなくなった。もっと多くの情報があったんかなぁ」

 いずれにせよ、暗黒時代のまっただ中で起きた監督交代の悲劇。当時、こんなことがささやかれたものだ。

 中村監督がスカタンなのではない。中村監督続投を決断した久万オーナーこそスカタンだと。 

(敬称略/宮田匡二)

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