球児がプロ野球選手になってから私の人生が少し輝いています 母・文子さん手記

 今季限りで現役を引退する阪神・藤川球児投手(40)が10日、甲子園で行われた巨人戦で4点ビハインドの九回からラスト登板に臨んだ。球児を育て上げた母・文子さん(62)が、引退試合に際しデイリースポーツに手記を寄せた。喘息(ぜんそく)持ちで決して体が強いとは言えなかった幼少期から、プロ入りを果たし、そして虎史上最高のストッパーへと歩んだ道のり-。愛息を見つめ続けた思いを語った。

  ◇  ◇

 ■幼少期

 小さい頃は手のかからない、素直でおとなしい子でした。一番記憶にあるのは小児喘息がひどくてしょっちゅう病院に通ったことです。夜中でも自転車に乗せて連れて行って。野球を始めた3年生の時も夜中に喘息になって、朝方落ち着いて、眠くなるから学校はお休みするんですけど、野球が大好きだったらしく、夕方になると練習に行っていました。

 小さい頃から運動神経は良かったと思います。保育園の運動会でも竹馬の高いところに乗っていてびっくりしたことがあります。バランスとかそういうものがないと怖いと思うんですけど、へっちゃらだったので。長男がいて球児がいて、下に姉妹2人がいましたので私は日々忙しくしていました。ほったらかしだったような気もします。兄弟姉妹2人ずつ遊んでいましたね。

 ■少年野球

 私は野球が分からないから、球児にどれぐらいの才能があるとか上手だとか、全く見ても分からなかったんですけど、少年チームの監督さんがゴロを捕るのでも全然違うって。試合は毎週見に行っていました。それがもう楽しみで。お弁当を作って朝早くて大変でしたけど、試合は安心して見ていました。執着していないから、そんなにハラハラしない。ダメな時もありましたけど、あの細い体で、でも好きなんだなあと思って。監督さんから叱られて泣いているのも見ましたけど、私は厳しく教えることができないのでそういう部分を教えてもらっている感覚でした。ありがたかったです。

 ■甲子園

 当時は大変な思いをしながら子育てしていたので、甲子園出場が決まった時は報われた感じがしました。小さい時から兄弟が同じ高知商業を選んで甲子園に出るという目標でずっとやってきたから。もうその時に、今まで頑張ってきたと言ったらおかしいですけど、良かったという感じでした。お兄ちゃんが卒業して球児が甲子園に行っても、もちろんうれしいんですけど、私としたら2人がしかもバッテリーで…もう最高でした。

 ■プロ入り    

 プロでなかなか芽が出ない時期はお嫁さんと2人が大変だったと思います。私は遠くにいて入り込まないようにしていたので。お嫁さんが言っていました。2軍の時は夕方には帰ってくる。家庭生活としてはサラリーマンみたいだからいいんですけど、球児くんがここが痛いと言って心配ですと。球児ももうダメだと思ったとか。私としたら悩んでる息子がかわいそう。単純に母親だから。しんどいだろうなとかという思いだけで。そしたら山口高志さん。球児が素直に人の言うことを聞く人じゃないと、出会えてなかったかもしれない。幸せですね。

 ■観戦

 年に一度、甲子園で試合を見ている時は夢のような感じです。マウンドにいるのは別の人と言ったらおかしいけど、わが子がという感じではなくて。現実から離れている。家では、ああ球児という感じですけど、別の藤川球児選手みたいな。でもそういう瞬間に、今まで自分がしんどかったことが…。球児がいることによって自分の存在価値があるような…。マウンドでの歓声も不思議な感じで。すごくうれしいとかじゃなくて、すごいね球児、緊張せんわけ?あんな中で、すごいなあと思って見ています。

 ■母の思い

 家のテレビは衛星放送も映りませんし、ケーブルも取っていません。みんな不思議な親やねと言います。本当は熱が入って応援するんでしょうけど、私はちょっと違う。元気で仕事をやってるねという感じで。長男もいれば妹たちもいるので、それぞれが仕事をやっているという感覚かもしれません。もっと喜んであげて、いろんな人に言ってあげた方がいいのかもしれないけど。もちろん私はうれしいんだけれども、それは自分の気持ちだけの話で…。ありがたい息子やし、私が生きてきて、支えですよね。

 ■母の夢

 私は今年62歳になるんですけど、本来は仕事を引退して、球児がまだ野球をやっていたら、長男も関西にいるので、しょっちゅう見に行って、ずっとできなかったことをして球児が引退してくれたらいいなというのが希望ではあるんですけど、あと3年ぐらい仕事に行くので、それは難しいのかなと。球児がね、あと5、6年やってくれたら(笑)。でもそれははただの思いで、球児が元気でやってくれていることの方が大事だし、心残りのないような終わり方が一番だと思うように、心の整理をしています。

 ■40歳まで

 あの体が弱かった子が40歳になるまで続けられたこと自体が不思議で、ありがたいことです。生まれ持ったものだけじゃなくて、誠実に頑張ってきたからだと思います。15歳から高校の寮に行って、数えてみたら別になった時間の方が長いですね。お嫁さんがいるから安心して仕事できているのかなと感謝しています。球児がプロ野球選手になってから私の人生が少し輝いています。球児が輝いているところに自分を映してもらっている感じです。ありがとう、球児-。

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