阪神外国人選手列伝 1980年、ヒルトンわずか18試合で退団 ブレイザー監督も解任

 阪神は2020年、球団史上最多となる外国人選手8人体制でV奪回に挑む。球団創設85周年のメモリアルイヤー。かつてタテジマのユニホームに袖を通した助っ人を年度別で振り返る。1980年は就任2年目を迎えたブレイザー監督の希望で、ヤクルトからヒルトンを獲得した。

 ヒルトンは78年ヤクルト初優勝、日本一に貢献した二塁手。同年は打率・317、19本塁打、76打点と活躍。79年も打率・258、19本塁打、48打点の成績を残したが、自由契約になった。マジメな性格で、ハッスルプレーが持ち味。ブレイザー好みの選手で、同監督の勝負手とさえ言われていた。

 米アリゾナキャンプに合流したヒルトンは「阪神で骨をうずめる覚悟だ。監督のためにも死にもの狂いで頑張る」と意気込んだ。だが肩が弱く、この時点で守備面の不安を指摘する声はあった。

 また、ドラフト1位・岡田彰布と守備位置が重なったのが不運だった。大型ルーキーの起用を望むファンの声にフロントも圧倒された。開幕直後から先発起用されたものの極度の打撃不振。わずか出場18試合、打率・197、0本塁打、4打点で途中退団となった。5月7日・ヤクルト戦、江本の代打で二ゴロに倒れたのが最後の打席だった。

 ブレイザーも5月15日に解任された。ヒルトンの解雇が原因かと聞かれると、「いや、彼とは関係ない。私は彼の解雇はやむを得ないと思っていた」と否定。「球団が約束を守らなかった。私が就任するとき、(球団は)現場のことを一任すると約束したのにヒルトンに代わる新外国人に関して何の説明もなかった」と不満を爆発させた。後任の中西新監督には「二十数年の付き合いだし私の方針を引き継いで頑張ってくれると思う。層が厚くなり岡田も力がある。優勝を祈っている」とエールを送った。

 その年、岡田は108試合に出場し、打率・290、18本塁打、54打点。69年田淵以来、11年ぶりの新人王に輝いた。ヒルトンに代わって加入したボウクレアは80試合に出場して打率・249、8本塁打、26打点。チームは5位に沈んだ。

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