阪神・北條から高校球児へエール「頑張ってまた甲子園を目指してほしい」

 2011年のセンバツに出場した光星学院・北條
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 新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が延期される中、今春のセンバツ中止を受けて、阪神・北條史也内野手(25)が球児たちにエールを送る。東日本大震災直後に行われた2011年センバツを皮切りに4度の甲子園出場を果たした男が、無念の思いを推し量りながら“後輩”らを激励した。

  ◇  ◇

 思わず言葉を詰まらせた。「いやぁ…僕がその立場だったら…想像できないぐらい、もう…キツいっすね、ホントに」。センバツの開催中止で甲子園の土を踏むことができなくなった球児の気持ちを思うと、北條の口から言葉が続かなかった。

 「仕方がないのは分かっています。でも、やっている側からしたら、甲子園を目指してずっと頑張っていたわけで。出場が決まっていてそれを奪われるなんて…。出ていれば、必ずいい経験になっていたと思うので」

 光星学院(現・八戸学院光星)時代には4度、甲子園に出場した。だからこそ、彼らの無念の気持ちが痛いほど分かる。

 北條が初めて聖地の土を踏んだのが、東日本大震災直後の2011年センバツ。開催が危ぶまれる中で、『がんばろう!!日本』の特別スローガンを掲げ、地震発生12日後に開幕した大会だ。

 実は地震発生時、北條は機上の人だった。「沖縄、石垣島へ遠征した帰りだったんです。青森には戻れず、一度関空で燃料だけ追加して、また沖縄に戻りました。飛行機の中にずっと十何時間かいましたね」。結局、沖縄から何日か後に関西に入り、そのまま大会へ向かっていった。

 1回戦は水城(茨城)に10-0で快勝するも、2回戦で智弁和歌山の前に敗退。青森に戻るとなじみの景色は一変していた。「もうぐちゃぐちゃになってて…。寮の棚の物も全部落ちていました」。普通に野球ができていたありがたみを痛感し、大会が開催されたことに感謝した。

 「あの時はやれたので…。今回なくなったっていうのは本当に想像ができない。甲子園に出るという経験は絶対に、その後につながりますからね」

 11年のセンバツで初めて甲子園出場を果たしたのを機に、その後は3大会連続準優勝に大きく貢献した。特に3年生で出場した12年夏には準決勝の東海大甲府(山梨)戦で大会史上初の2打席連続バックスクリーン弾を放つなど、1大会4本塁打を記録。甲子園通算29打点をマークして、清原の最多打点記録に並ぶなど大暴れした。

 「今振り返っても高校時代にプレーした甲子園って、プロでのそれとは全然違いましたよね。なんていうか、純粋に楽しかったというか…」。聖地が本拠地になった今でも、特別な思いが湧き起こる。そんな体験をしてるからこそ、今回憧れの舞台に立つことができなかった球児たちにも、同じ経験をしてほしかったという無念さが募る。

 「頑張って、また甲子園を目指してほしいですね。気持ちを整理するのに時間はかかると思う。でも気持ちの切り替えが早ければ早いほど、夏にしっかり向かっていける気がします。なかなか難しいでしょうけど、とにかく頑張ってほしいです」

 北條が何度か繰り返した「頑張ってほしい」のシンプルなフレーズ。そこに球児への真っすぐで強い思いが込められていた。

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