【私と甲子園】元阪神・萩原誠さん 無名だった大阪桐蔭を夏初制覇に導いた結束力

 高校野球を彩ってきた元球児の阪神関係者が高校時代を振り返る「私と甲子園」。第6回は、大阪桐蔭が夏の甲子園初出場初優勝を果たした91年の4番・萩原誠さん(45)です。同年夏は創部4年目ながら、強豪を破って決勝へ進出。4連投したエース・大野倫(元巨人)を擁する沖縄水産を下し、頂点に立った27年前を振り返ってくれました。

 今や全国屈指の名門となった大阪桐蔭。91年に甲子園での第一歩を踏み出している。同年は春夏通じて初出場したセンバツで8強。夏も大阪の強豪を破り、選手権に初出場した。世代屈指の大砲として注目を浴びた4番・萩原が大黒柱だった。

 3回戦は秋田に九回2死走者なしから2点差を追い付いて勝利。「神がかった勝ち方で勢いがつきましたね」。準々決勝は89年の優勝校・帝京、準決勝は2年生4番・松井秀喜を擁する星稜も破って、決勝へ進出した。

 優勝旗を争ったのは、2年連続で決勝に進出した沖縄水産。右肘を痛めながら4連投したエース・大野の奮闘と、沖縄勢初の悲願も重なって、スタンドは異様なムードだった。「指笛しか聞こえなかったですね」。“沖縄一色”の完全アウェー。平常心を失いそうな状況でも、萩原は初回に大野から右翼席へ先制2ランを放った。

 「みんなが大野投手の肘が悪いことを知っている状況で、彼は堂々と気迫で投げてきた。彼には失礼ですが、ボールは全然来ていなかった。それでも制球は素晴らしかった。肘を痛めていない大野投手のボールを見たかったな、と思います」

 夏の甲子園は打率・688、3本塁打、8打点。高校通算では58本塁打も放った。それでも球史に名を刻んだ投手から放った一発は、高校3年間の中で思い出深い一打だった。

 初出場初優勝までの道のりは、平たんではなかった。当時の大阪はPL学園、近大付などが中心。「僕らは無名。注目されていませんでした」。指揮を執ったのは長沢和雄監督。現在の西谷浩一監督は、コーチとしても赴任していない。当時は監督に歯向かったり、練習態度が悪かったり、やんちゃな選手が多かったという。なぜ快挙を成し遂げたのか。

 方針もスタッフも違うが、現在の大阪桐蔭と共通点がある。選手主体でミーティングを行い、意見をぶつけて結束を強めた点だ。

 「何度も選手だけでミーティングをして、チームを作り上げた自信があります。僕らの時は選手の未熟さが出ていた。でも、練習態度が悪い人には、選手から『外れてくれ』と言っていた。練習後も意見を出し合った。ブレーンストーミングというか、そういうことを自然とやっていましたね」。コミュニケーションを大切にする姿勢は、社会に出た今も生きている。27年前の経験は、萩原にとってかけがえのない財産だ。

 ◆萩原 誠(はぎわら・まこと)1973年4月6日生まれ、大阪府大東市出身。178センチ、78キロ。大阪桐蔭では3年だった91年に春夏連続で甲子園に出場。ともに初出場で春は8強、夏は優勝。91年度ドラフト1位で阪神へ入団。88年に引退した掛布の背番号31を受け継ぎ、話題となった。現在は柔道整復師の資格を生かし活動中。プロ通算124試合で、打率・192、4本塁打、14打点。

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