昭和彩った作詞家・橋本淳さん 名曲「ブルー・シャトウ」「亜麻色の髪の乙女」 童話のような作風が大衆に浸透【追悼】
作詞家の橋本淳さんが、5月21日に亡くなった。
生前にお会いする機会はなかったが、たいへん思い入れのある作家だったので追悼の筆をとりたい。
『ブルー・ライト・ヨコハマ』、『ブルー・シャトウ』、『亜麻色の髪の乙女』…昭和を彩る数々のヒット曲を手がけた橋本さん。作詞家としてのデビュー作は1965年の『ボンド小唄』(ボニージャックス)だと言われているが、とりわけこのころから流行し始めたグループ・サウンズには多大な功績があった。
■グループ・サウンズブームの幕を開けた作家として
まずはジャッキー吉川とブルーコメッツのデビュー曲で、グループ・サウンズ初のヒット曲と言われる『青い瞳』(1966年)を手がけたこと。これは業界の師で、人気音楽番組『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ)のディレクターだったすぎやまこういちさんの意向により、ブルコメの井上忠夫(のちの井上大輔)さんと共作した楽曲だ。当時のレコード業界は専属作家制という慣習が生きており、自由に楽曲を世に出すことが難しかったのだが、粘り強く交渉した結果、日本コロムビアの洋楽レーベルからリリースが実現。楽曲の斬新さに加え、『ザ・ヒットパレード』の援護射撃もあり、英語盤が10万枚以上、日本語盤が50万枚以上と言われる大ヒットを記録したのだ。
しかも、翌1967年3月には再び橋本×井上コンビによる『ブルー・シャトウ』が150万枚という爆発的なヒットに。すでにザ・スパイダースなどバンドスタイルで歌うグループはちらほら出現していたが、ブルコメがこの2曲のヒットを放ち、『NHK紅白歌合戦』にも出演したことが「グループ・サウンズ」というスタイルが一般に認知される決定打となったわけだ。
■乙女チックで耽美…その作風のルーツは
以降、ヴィレッジ・シンガーズ、ザ・タイガース、ザ・ゴールデン・カップス、ザ・ジャガーズ、オックスなど数々のグループ・サウンズの作詞を手がけた橋本さんだが、その作風には時代にマッチする独特のセンスがあった。当時の作品には「森と泉にかこまれて 静かに眠るブルー・シャトウ …」(『ブルー・シャトウ』)、「亜麻色の長い髪を 風がやさしくつつむ…」(『亜麻色の髪の乙女』)など言葉数をおさえ、童話の世界を描いたような乙女チックで耽美なものが多い。これがロック由来の新しい音楽性であるグループ・サウンズが、大衆に広く受け入れられるための重要な要素になったのだ。
橋本さんの父は「小鳥はとっても歌がすき」で有名な童謡『ことりのうた』の作詞を手がけたことでも知られる児童文学家の与田凖一さん。その縁で学生時代には作家を目指し、檀一雄さん、梅崎春生さんといった作家の書生をしていたそうだが、父や先達の影響から橋本さんは、作詞家として「抽象的な言葉を投げかけて大衆の想像力を喚起する」という考えを持っていたという。
現代的なポップスの感覚に比べると、いささか詩的過ぎる橋本さんの歌詞だが、表現家としてのルーツや思想を鑑みるとなぜそうなったか、なぜ受け入れられたのかがよく分かる。よくも悪くも「大衆」というマスが今よりも強固だった1960年代において、簡潔な言葉でリスナーをイマジネーションの世界にいざなう橋本さんの作品は、ヒットすべくしてヒットしたのだ。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)
