武器を使わず心理的圧力 経済的威圧という新たなカード WTOの対応限界も国際法上の合意形成は困難
経済的威圧とは、ある国家が自国の政治的目標を達成するために、他国に対して貿易制限や投資の禁止といった経済的な手段を用い、相手国の政策決定に不当な影響を及ぼそうとする行為を指す。
現代の国際社会において、国家間の相互依存関係が深化する中、軍事力を行使することなく相手国に打撃を与える手法として経済的威圧は顕在化している。この行為の本質は、経済的なつながりを「武器」として利用することにあり、特定の外交問題における譲歩を引き出すことや、相手国の主権的な判断を自国の意向に沿うよう変更させることを目的としている。
通常、経済的威圧は公式な制裁措置として宣言されることは少なく、通商ルールや国内規制の恣意的な運用という形をとることが多い。
例えば、検疫上の理由を名目とした輸入停止や、技術基準の急な変更、さらには消費者による組織的な不買運動の背後での支援などがこれに該当する。こうした非公式性は、実施国側が国際通商ルールとの整合性を主張する余地を残すと同時に、事態の不透明性を高め、対象国に対する心理的な圧力を強める効果を持っている。
■豪州に示された中国による経済的威圧
近年の国際情勢において、経済的威圧と目される事例は複数確認されている。代表的なものの一つに、オーストラリアと中国の間で発生した貿易紛争がある。
2020年、オーストラリア政府が新型コロナウイルスの発生源に関する独立調査を求めた際、中国側は大麦に対する高関税の賦課やワインの輸入制限、石炭の輸入停止といった措置を相次いで講じた。これらは表面的にはダンピング対策や品質管理の問題とされたが、国際社会ではオーストラリアの外交姿勢に対する経済的圧力であると広く認識された。
また、リトアニアが台湾の代表処設置を認めた際にも、同様の動きが見られた。リトアニアからの製品が通関を拒否されたり、リトアニア製部品を使用する他国の企業に対しても圧力が加わったりした事例は、経済的威圧が二国間にとどまらず、グローバルなサプライチェーン全体に波及し得ることを示した。
さらに、過去には韓国がミサイル防衛システム(THAAD)を配備した際に、中国国内での韓国系小売店の営業停止や団体旅行の制限が行われた事例もある。これらの事象に共通するのは、経済的手段が特定の政策に対する「報復」や「警告」として機能している点である。
■WTOの対応に限界
経済的威圧は、自由貿易を基本原則とする多国間通商体制に対する大きな挑戦となっている。世界貿易機関(WTO)などの既存の枠組みは、主に明確な関税障壁や差別的扱いを是正するために設計されており、非公式かつ広範に行われる経済的威圧に迅速に対応するには限界がある。特に、検疫や国内規制を隠れ蓑にした措置は、その意図を客観的に証明することが困難であり、紛争解決に長い時間を要することが多い。
このような状況を受け、主要7カ国(G7)をはじめとする諸国は、経済的威圧に対抗するための連携を強化している。2023年のG7広島サミットでは「経済的強靱性及び経済安全保障に関する首脳声明」が採択され、経済的威圧に対する共通の認識と、集団的な対抗手段の検討が明文化された。具体的には、サプライチェーンの多角化による特定国への依存度の低減、被害を受けた国に対する融資や代替市場の確保といった支援メカニズムの構築が進められている。
■国際法上の合意形成は困難
しかし、経済的威圧を明確に定義し、それを禁止する国際法上の合意を形成することは容易ではない。何が正当な経済政策であり、何が不当な威圧であるかの境界線は、政治的な文脈に左右されやすいためである。今後、国際社会には、経済の武器化を抑制しつつ、公正かつ予測可能な通商環境をいかに維持していくかという、極めて複雑な課題が突きつけられている。経済的威圧への対策は、単なる貿易問題を超え、国家の自律性と国際秩序の安定を左右する安全保障上の重要事項となっている。
◆和田大樹(わだ・だいじゅ)CEO, Strategic Intelligence Inc. / 代表取締役社長 専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障、地政学リスクなど。海外研究機関や国内の大学で特任教授や非常勤講師を兼務。また、国内外の企業に対して地政学リスク分野で情報提供を行うインテリジェンス会社の代表を務める。
