『ばけばけ』はなぜヘブンの「枯れていく姿」を克明に描いたのか 最終回に向けて動き出したエピローグ
連続テレビ小説『ばけばけ』(NHK総合ほか)が放送を残すところあと1週となった。“ラス前”の第24週「カイダン、カク、シマス。」には、53歳になったヘブン(トミー・バストウ)が自らの「老い」にもがき苦しむ姿があった。
この世を「うらめしい」と思って生きてきたトキ(髙石あかり)とヘブンが怪談を通じて惹かれ合い、夫婦になって幾年月。勘太(ウェンドランド浅田ジョージ)と勲(柊エタニエル)という2人の子宝にも恵まれ、ヘブンは帝大の教授として教鞭を執り、東京で順風満帆な日々を送っているかのように見えた、雨清水家と松野家。
ところが、ヘブンは帝大を解雇になって無職となり、毎日ミルクホールで時間を潰していたことがわかる。ヘブンは教職の口を求めて方々に手紙を書くが、不採用の連続。エッセイを連載していたアメリカの新聞社からも連載継続を断られてしまった。
■ラス前週まで「うらめし」かった『ばけばけ』
ヘブンの肉体的・精神的な老いが、静かに、丹念に描かれていた。ヘブンが何より辛かったのが、作家としての感性の「老い」だったのではないだろうか。心から書きたいと思うテーマが見つからない。『日本滞在記』のようなベストセラーが、あれから一度も出ていない。
3月20日に放送された第120回、トキと二人三脚でようやく『怪談』を書き上げたものの、こんな「ラス前週」は朝ドラ史を見渡してみても、珍しい。おおかたの朝ドラでは最終盤ともなれば、主人公、そして主人公に近しい人々は、これまでの苦労と努力が実り、撒いた種が回収されて、ハッピーエンドに向かってまっしぐら、といったところだ。
そうはならないところが、『ばけばけ』らしい。この朝ドラはラス前週までも「うらめし」かった。思い起こせば第20週で「熊本編」に突入してから、ヘブンはずっと慢性的なスランプの中にいた。最終盤で、主人公の最愛の夫の枯れていく姿を克明に描く。この意図は何なのか。制作統括の橋爪國臣さんに聞いた。
■作家としてうまく立ち行かない姿を描く必要があった
最終盤までヘブンの困難を描き続けたわけを、橋本さんはこう語る。
「小泉八雲の全著作を見てみると、怪談は彼のほんの一部。基本的に八雲はエッセイストなんです。『いつになったら怪談が出てくるんだ』という厳しいご意見をいただいたりもしますが、『怪談 (Kwaidan) 』を発表するまでの紆余曲折をきちんと描く必要があると思いました」
「小泉八雲は、初めて日本で書いた『知られぬ日本の面影』(ドラマ内では『日本滞在記』)から『怪談』までのあいだに、作家としてうまく立ち行かなかった時代がありました。もちろんその間にも、随筆や紀行文を中心とした数々の著作を出してはいるのですが、やはり『知られぬ日本の面影』ほどのベストセラーには至らなかった。そんな中で、作家として何を書いたらいいのか、どう生きたらいいのか、ずいぶんと悩んだようです」
■「私がヘブンさんを変えてしまった」…トキの後悔と贖罪
『ばけばけ』では、そうした八雲の葛藤を、終盤の作劇に落とし込んだ。最終盤でヘブンの「老い」や「衰え」にフォーカスしたもうひとつの理由について、橋爪さんはこう続けた。
「そんなヘブンの姿をトキの目線で見たときの、『この人にとって、どうなるのがいちばん幸せなのか』ということを描きたいと思いました。第22週でヘブンがフィリピン行きを迷う中、トキが妊娠して、ヘブンが『ワタシ、ニホン……』と言いかけた、その続きをトキは知りません。でもこれはきっと、彼女の心にずっと残っている言葉だと思うんです」
「ヘブンが作家として悩み、うまくいかない姿をトキはいちばん近くで見ながら、『あの続きって、本当は何だったんだろう』と、ずっと引っかっかている。『家族の幸せと引き換えに、私が「カクノヒト」のヘブンさんを変えてしまったんじゃないか』という後悔が、トキの中にある。そんな彼女の贖罪みたいな思いが、最終回のエピソードへとつながっていきます。
第24週と最終週の第25週は、本当の幸せとは? トキとヘブンにできる幸せな生き方とは? ということを、より追求した2週になっています」
次週、最終週のタイトルは「ウラメシ、ケド、スバラシ。」。トキとヘブンは、どんな「スバラシ」の答えを見つけるのだろうかーー。
(まいどなニュース特約・佐野 華英)




