いつもであれば…救急車に「サイレンを鳴らさずに来てくれ」 体裁を重んじるホテルで起きたエレベーター落下事故

そのホテルでは急病人を救急搬送する際、救急車のサイレンを鳴らさないよう要請していた。しかし、それほど体裁を気にするホテルでも、エレベーターの落下事故で作業員が瀕死の重傷を負ったとなれば、さすがに体裁を繕う余裕はなかった。

■客室の窓を全開にするとセンサーが反応する

筆者が警備員として働いていた時代は、平成の初め頃。当時勤務していたホテルでは、女性単独で予約のない客は、すべて断っていた。理由はいささか偏見があったかもしれないが、万が一自殺でもされたら、ホテルの名に傷がつくからだ。格式のあるホテルということもあり、不祥事や事故にはとりわけ神経をとがらせていた。

そのため、客室の窓にはセンサーが取り付けられていて、全開にしたら地下の防災センターで発報し、警備員と客室係がその部屋へ駆けつけることになっていた。窓が半開きでも外へ出られるが、今度は赤外線センサーに引っかかって、やはり警備員と客室係が血相を変えて駆けつけるのだ。これらは、飛び降り防止のためのシステムだが、お風呂上りに夜風に当たりたい客はいささか窮屈な思いをしたことだろう。

ホテルが体裁を気にしていることは、客に急病人が出たときの対応でも分かる。体調を崩した客は、問答無用で病院へ搬送した。

一見、親切心のようだが、本音は違う。ホテル側で介抱したり何らかの処置を施したりして客が「もう大丈夫です。楽になりました」といっても、あとから容態が悪化したときに「ホテルの対応は正しかったのか?」と、弁護士を連れてくる事態が起こり得るからだ。

病院へ搬送する際も、なるべくタクシーを使った。どうしても救急車を呼ばなければならないときは「サイレンを鳴らさないでください」と要請するほど、ホテルから急病人が出たことを隠したいのである。

■エレベーター点検中の落下事故

そこまで神経質になっていても、ときには「さすがにこれは、体裁なんか取り繕っていられる状況じゃないよね」という事案が起こる。

エレベーターは6カ月に一度、定期点検を受けることが法律で定められている。ある夏の日、保守点検のため3人の作業員が訪れて、6基ある客用エレベーターの点検作業を始めた。

1号エレベーターの点検が終わり、2号エレベーターの点検作業中に事故が起こった。原因は分からないが、1階に降ろしてあったゴンドラが、その下のピットと呼ばれる空間まで落下したのだ。ピットで作業していた男性作業員がゴンドラと壁の間に挟まれて、身動きが取れなくなった。

事故の一報を受けたアシスタントマネージャーはすぐ救急車を呼んだが、さすがに「サイレンを鳴らさずに……」などと悠長なことはいわなかった。救急隊と一緒に消防のレスキューも出動し、エレベーターの保守会社からも応援に駆けつけてきた。やがて、この事故をどこから嗅ぎつけたのかメディアも集まり始めるという、たいへんな騒ぎになっていった。

ゴンドラと壁の間に挟まれていた作業員は1時間後に救出されたが、すでに心肺停止の状態で、搬送された病院で死亡が確認されたという。

さて、あとから聞いた話では、この一件のあと、救急車を呼んだアシスタントマネージャーの上司や先輩らが、明らかによそよそしい態度に変わったそうだ。死亡事故が起きてしまったことは、ホテルにとって著しいイメージダウンになる。救急車を呼んだことで、あたかも「お前のせいだ」といわんばかりの空気感だったという。

以上は30数年前の、インターネットもSNSもなかった時代だから世間に拡散されることなく、知らない人は知らないまま終わった事故だった。ホテルの対応も、今はもっと優しく変わっていることを願いたい。

(まいどなニュース特約・平藤 清刀)

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