乗れない列車も熱いぞ 「貨物列車」の魅力は、造形の面白さと運輸の歴史

貨物車はお好きでしょうか?乗れない列車ですが、知るとなかなか魅力のあるものですよ。私・マグナム小林は、小さい頃から貨物列車が好きです。どれぐらい好きかというと、貨物列車が通り過ぎるまでじーっと見つめ続けるほど。

見つめていると分かるのですが、貨物列車は四角いコンテナだけではありません。そこに注目し始めてからは、よりいっそう貨物列車が好きになりました。

現在の貨物列車の主流はコンテナですが、私の子供の頃の昭和50年代はとてもバラエティに富んでいました。大きな鉄の箱のようなワム80000形を代表する有蓋車(ゆうがいしゃ)や、その名の通り蓋がないトラ35000形を代表する無蓋車(むがいしゃ)、ガソリンを運ぶタキ43000形を代表するタンク車などなど。

私の自宅からほど近い総武線も、鹿島方面からと蘇我方面からの貨物列車が走っています。しかし、東海道本線や東北本線のような長大編成ではないのが残念でした。

ですから、東海道本線や東北本線に乗る機会があると胸が高鳴ります。長大編成の貨物列車を見ることが出来るのではないかと。

ベーシックな貨物列車のワム80000形やトラ35000形も好きなのですが、何より好きだったのが、車掌車であるヨ8000形。貨物列車の最終車両です。

今は貨物列車の後ろにボチボチっとテールライトもどきが付いているだけなので、風情がありません。35年前に一斉に廃止になった時は、本当に寂しかった。一度でいいから、あのヨ8000に乗ってみたかった。ああ、乗れた車掌さんが羨ましい。

他にも好きな貨物列車はあります。思い入れが深いのは、開港当時の成田空港のジェット燃料輸送です。開港しても、まだ燃料のパイプラインが完成しておらず、ジェット燃料も鉄道貨物輸送に頼らざるを得ません。もっとも鹿島から来るものはそのまま、土屋中継基地に運べていました。

しかし、京葉臨海鉄道の浜五井から来るものは、千葉駅からそのまま成田方面に向かうのは不可能。そこで幕張駅に中線を作って、そこでスイッチバックのような形で戻って成田方面に向かっていました。

ご存知の方も多いかと思いますが、成田空港は開港までひじょうに苦労した空港です。反対運動が盛んで、激しい抗議があったことも知られています。

反対派はかなり過激だったため、襲われる危険性があります。そこで、ジェット燃料の輸送には、頑丈に作られたタキ43000形が使用されていました。幕張駅の中線ホームには、今のホームドアのような防護壁もあったんですよ。

このタキ43000形を運んでいたのは、今は引退しているディーゼル機関車のDD51だったことを思い出します。それはパイプラインが完成する5年後まで続きました。

千葉駅といえば、蘇我方面から来た貨物を待避させるための0番線も私のお気に入りです。0番線と言っても、当時からホームはありませんでしたが。今ではレールも撤去され、レールがあったであろう空間だけが残されています。

全国には、貨物専用の私鉄も数多く存在しています。私が住む千葉県の京葉臨海鉄道は全国一路線が長く、また貨物の取扱量も一位です。蘇我から京葉工業地帯を通って木更津の方まで伸びています。

貨物列車を堪能するには良い環境の私は、京葉臨海鉄道へしばしば見学に行きます。

この日は国鉄のDD13形が、種車(※新車両の元となる車両)ながら自社発注のKD55形がタキ1000形を運んでいました。蘇我駅まではこのKD55が運び、蘇我駅からのJR線内はEF210-100番台やかつてブルートレインを牽引していたEF65-2000番台が運びます。このため、蘇我駅構内でKD55とEF210やEF65との交換作業が見られます。

千葉では京葉線から武蔵野線に行く列車はEF210、総武線を通る列車はEF65と棲み分けがされているようです。以前はDD51ばかりでした。

貨物を取り巻く状況は、大きく様変わりしています。

昔は、大貨物駅といえば、東の汐留・西の梅田でした。現代ではとても賑やかになり、その面影がありません。貨物専用線だった山手貨物線や城東貨物線も、今は旅客線となりました。大宮操車場は、さいたまスーパーアリーナになっています。東京では貨物専用の新金線や越中島支線のLRT化(※次世代型路面電車システム)の計画もあるようです。

一時は貨物の鉄道輸送は低迷し、貨物列車の編成もだいぶ短くなった時期があります。今は鉄道輸送が見直され、編成もまた長くなってきました。各地の貨物専用の私鉄も力強く生き残っています。これからの貨物列車がどう変化していくのかとても楽しみです。

◆マグナム小林(まぐなむ・こばやし) 1971年千葉県千葉市に誕生。1994年8月、立川談志に入門、2000年8月上納金未納のため破門。以降、バイオリンエンターテイナーとして活動を開始。擬音ネタや東京節にあわせたなぞかけ、バイオリンとタップダンスをあわせた芸で多くの聴衆を魅了する。落語芸術協会と東京演芸協会に所属。千葉市立千葉高校時代には野球部のキャプテンを務めた。プロレスや競馬にも造詣が深い。

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