「私が作りました」「私が歌いました」 伯方の塩「初代」コンビついに判明

 「は・か・た・の・しお!!!」のCMで知られる伯方塩業(愛媛県)がWeb広告限定の「二代目声優オーディション」を始めたのを機に、同社が「不明」としている「初代」の正体が、多くの人の関心を集めている。数日前、期間限定(1996年から7年間ほど)でCMに出演していた演歌歌手の高城靖雄さんとの接触に成功したが、実はTwitterではその前から「作曲したのは自分だ」と主張する男性が登場し、「歌っていた人も知っている」と具体的な名前まで出している。「初代の正体はわからない」という同社のコメント入り記事を世に出してしまった手前、話を聞きに行く以外の…せ・ん・た・く・し・は・ない!!!

 「あのサウンドロゴを作ったのは間違いなく私です」

 仕事場だという大阪・心斎橋の音楽教室に現れたのは、1970年代前半からスタジオミュージシャン、そして作編曲家として活躍してきた浦田博信さん。「は・か・た・の・しお!!!」を制作した87年頃は、週5日ほどのペースでスタジオに入り、企業CMやカラオケなどの仕事をこなしていたという。

 「企業CMは多い時期で月に7、8本は作っていたかな」と振り返る浦田さん。聞けば、関西では誰もが耳にしたことのあるあのCMやこのCMも浦田さんの作品らしい。「作品数はかなり多いですよ。キダ・タローさんには負けるけど」と語るのも納得の仕事量だ。伯方の塩は、そんな時期に請け負った仕事のひとつだったという。

 「正確に覚えているわけではないけど、曲は5~10分くらいでできたと思う。録音も10分くらいで終わったんじゃないですかね」

 「歌った人がブースから出てきたときの第一声が『こんなんでええんか』だった。録音に立ち会った人が覚えていました」

 で、問題はその「歌った人」、つまり「初代」の正体なのだが…。

 「僕の音楽仲間の塩ちゃん、塩谷信廣です」

  ◇  ◇

 塩谷さんは浦田さんとほぼ同期のミュージシャンで、大阪の音楽スタジオに所属するシンガー、ギタリストだった。塩谷さんは特にインパクトのある「シャウト系」の仕事を得意としており、こちらも関西ローカルの有名CMを多数担当。「一時期、大阪で作られたCMの半分くらいは僕の声だった」と豪語するほどである。テレビ番組のレギュラーバンドの仕事も多く、70~80年代は忙しい日々を送ったという。また1992年から2018年春までは、大阪音楽大学短期大学部のジャズ・ポピュラー専攻で教鞭を執っていた。

 「伯方の塩に関しては、他の仕事同様、正直そんなに思い入れがあったわけではない。ただ、長いこと使ってくれてるなあとは思っていた。自分が初代だという認識もなかったので、今回の二代目オーディションも他人事でしたよ」と塩谷さん。「初代は誰だ」と話題になっていることについては、「たくさんの人の耳や心に残っていたことが嬉しいし、ありがたい」と素直に喜ぶ。残念ながら動画の撮影は断られたが、ちょっと小声で「は・か・た・の・しお!!!」を披露してくださった。めっちゃいい人、そしてあのCM通りのいい声である。

  ◇  ◇

 さて、SNSなどで塩谷さんの名前が挙がっても、伯方塩業が「初代については人物の特定ができなかった」という見解を崩さないことについては、2人とも「不思議ですね」と首を傾げるが、浦田さんは「確かにこちらにスコアやマスターテープなどの“物証”があるわけではないので、伯方塩業さんとしてもそう言うしかないのかも」と慮る。

 「ただ、レコーディングの担当ディレクターを含め、証人はたくさんいますよ。参加したミュージシャンも全員特定できています」と浦田さん。「CMの仕事は匿名性が高いので、思いがけない形で話題になったが、自分たちの作品だということを認知していただければそれでいいです!」(まいどなニュース・黒川裕生)

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