美術館初心者ひきつける「怖い絵」の力

 絵の背後にある物語性や歴史を知ると恐怖を覚える「怖い絵」展(兵庫県立美術館で開催中)の来場者が1カ月で10万人を突破し、想定の倍のペースを記録している。その多くを占めるのが初めて美術館を訪れる若い世代だという。芸術や絵画に縁遠かった美術館初心者をひきつける「怖い絵」展の魅力を探った。

 約80点に及ぶ展示作品の中で圧倒的な存在感を放つのが今回初来日した「レディ・ジェーン・グレイの処刑」だ。わずか9日間でその地位を追われた16歳の女王の最期を描いた絵は、実際に身を包んでいたものとは違う純白のドレスをまとった女王、斧を持った処刑人、悲嘆に暮れる侍女が劇を演じているかのような構図で切り取られている。若き女王がなぜ斬首されなければならなかったのか。稀代の画家ポール・ドラローシュが史実と異なる演出に込めた思いは何だったのか。展示の解説を通じてそこに隠された意味を知ると絵はいきいきと表情を変えて眼前に迫ってくる。

 ベストセラー「怖い絵」シリーズの著者でドイツ文学者の中野京子さん特別監修のもと、神話、悪魔、異界、現実、風景、歴史などのテーマで「恐怖」を想起させる約80点の絵を国内外から集め、5年がかりで開催にこぎつけた「怖い絵」展。来場者のうち「30代以下」が約6割で「初めての来館者」も半数弱を占めており、同館の通常の展覧会と比べそれぞれ倍以上の割合となっている。営業広報グループリーダーの古巻和芳さんは「これまで美術館に足を運ばなかった人たちがたくさん足を運んでいる」と話す。

 美術館初心者をひきつけているものは何か。

 まず一つ目が「興味を引く仕掛け」だ。「“怖い”というシンプルな主題が感情にストレートに響いている。来場者のアンケートでは、怖さの背景を知ることで絵が面白く感じられるようになったとの声が多い」という。SNS上で反響を呼んでいるのは「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の絵とともにポスターに添えられた「どうして。」のキャッチコピー。同美術館学芸員の岡本弘毅さんは「コピーには展覧会全体の説明をあてることが多いが、今回は観る人の想像をかきたてる言葉を探した。絵の登場人物が抱く不可解な心情を代弁するとともに、観る人に何が怖いのだろうと想起させることで知りたい気持ちを刺激する表現を考えた」と説明する。

 二つ目が「遊び心」。エントランスの「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」(ジョン・ウイリアム・ウォーターハウス画)をモチーフにした写真撮影コーナーでは、魔術で男たちを動物に変えるキルケーの背後で鏡に映る困惑顔のオデュッセウスを自分を見立てて撮影できるようになっている。また、絵の解説文に添えられたタイトルもユニークだ。例えば、イスラエルの王が魔女を使って呼び出した預言者・サムエルの霊から死ぬ運命であることを告げられるシーンを描いた「サウルとエンドルの魔女」(ベンジャミン・ウエスト画)には「お前ももう死んでいる」。戦争で“たが”が外れた人間の狂気を描いたゴヤの「戦争の惨禍」には「人間(けだもの)だもの」。軽妙なタイトルは鑑賞者と絵を近づける役割も果たしている。

 三つ目は何より「絵そのものが持つ力」だ。同美術館でこのほど講演した中野さんは「レディ・ジェーン・グレイの処刑」について「怖さの中に美が、美の中に哀しさが、そして哀しさの中に浄化作用がある絵」と縦2.5メートル、幅3メートルの大作への思い入れを語った。

 この作品の来日が決まるまでの交渉は難航を極めた。「怖い絵」シリーズの著作で取り上げられた絵画は門外不出の作品が多く「だからこそ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』はなんとしてでも借りたかったし、借りられないのなら怖い絵展そのものを開催しないつもりだった」と中野さん。だが所蔵するロンドン・ナショナル・ギャラリーとのやり取りは「半ばあきらめかけていた」と振り返るほど本契約までに長い時間を要した。

 また東京会場については、ある美術館に決定していたものの大作を覆う木箱のサイズも含めると搬入口から入らないことが判明。急きょ別会場を探すこととなり、上野の森美術館に変更した経緯がある。開催にこぎつけるまでの経緯についても絵そのものと同様に肝を冷やすエピソードばかり。それだけに「(貴重な)本物にぜひ触れてほしい」と中野さん。

 会場は連日盛況のため、平日もしくは金、土曜日の延長開館(~20時)時の鑑賞がおすすめだ。会期は兵庫県立美術館が9月18日まで、上野の森美術館が10月7日~12月17日となっている。(デイリースポーツ特約記者・山口裕史)

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