邪道は不滅じゃ!大仁田厚の引退→復帰の歴史を振り返る

プロレスラーの大仁田厚が、還暦となる2017年限りで引退することを宣言しました。しかし大仁田といえば、引退と復帰を繰り返していることで有名です。これまでの歴史を振り返ります。

公開日:2017.5.9

当時のデイリースポーツを見てみると、プロレスコーナーの主役はあくまで長州力。大仁田の引退が伝えられてはいるものの小さな記事でした。

1985年1月4日付のデイリースポーツ

◆大仁田が引退式

 全日本の新弟子一号として入門した元NWAインタナショナル・J・ヘビー級王者の大仁田厚(27)が、この日マット上から別れを告げた。師の馬場をはじめ鶴田、天竜らに見守られながら「十五歳で入門して十二年間…ファンのみなさまの声援ありがとうございました」と涙ながらにあいさつ。馬場と別れの握手を交わし、青年実業家としての第二の人生に旅立った。

 (原文ママ)

その後、全日時代の知名度を利用してタレントに転向し、小松政夫に弟子入り[4]。『11PM』等にレギュラー出演するが、この時のタレント活動は長続きせずに辞めてしまう。その後、事業家として一時成功するが、すぐ没落して借金まみれになり、土木作業員や配達員を経てジャパン女子プロレスでコーチに就任。

1988年、同じくコーチをしていたグラン浜田との団体内での遺恨の決着をリング上でつけるために、12月3日ジャパン女子後楽園ホール大会の浜田戦で現役復帰した。

1994年5月5日、一年後の引退を宣言!

1994年5月6日付のデイリースポーツ1面

この日の試合で天龍(新聞では「天竜」)源一郎に敗れた大仁田は、一年後の引退を決断します。また同時に政界に打って出る意向も示し、大きな話題に。衝撃の大きさを物語るように、当時のデイリースポーツは1面で伝えています。

 ◆大仁田、参院選出馬へ!惨敗、来年5月引退
 「FMWノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」
 大仁田引退―。FMWの五周年記念大会となった背水の陣最終戦は五日、川崎球場にプロレス野外興行レコードの札止め五万二千人の観衆を動員。大仁田厚―天竜源一郎(WAR)のノーロープ金網電流爆破でスマッチは、三度の電流爆破を浴びて体を切り裂かれた大仁田が天竜のパワーボムに惨敗を喫した。古傷の左ヒザを痛めて限界を知った大仁田は、来年5・5川崎での引退マッチの決断を迫られた。
(中略)
来会に予定される参議院選挙に打って出る考えもあり、九日にも緊急会見で今後の進退を明らかにする。

1994年5月10日付のデイリースポーツ

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