【一問一答】天山広吉が引退、新弟子時代も懐古「嫌なことばかり…橋本さん、ライガーさん、長州さんがバリバリで(笑)」新日本一筋35年「やっぱり新日本が一番、他団体考えたこともない」

 新日本プロレスの天山広吉(55)が11日、都内で記者会見を開き、現役を引退することを発表した。腰や膝のけがでリハビリを続けていたが、現役続行が難しいと判断したという。8月15日の両国国技館大会で引退試合を行う予定で、今後は新日本に所属したまま芸能活動を行う。金髪のモヒカンと強面がトレードマークで、1991年1月のデビュー以来、新日本一筋35年。小島聡(55)との名タッグ「テンコジ」でも名を馳せた人気者がマットを去る。引退会見での天山との一問一答は以下の通り。

 「天山広吉、プロレスラー生活35周年になりますが、今年8月15日、現役を引退することを決めました。長いのか短いのかわからないが、私はここで引退すると決めました。たくさんの方に支えられ、ご支援、指導をいただいて、みなさんに助けていただきありがたかった。右も左もわからない新弟子として入門してからここまで来たのは奇跡に近い。私にとって、プロレスラーになること自体が奇跡みたいなものだったので、プロレスラーになれて良かったなと思う。引退するが、まだまだ新日本の会社の中で協力できることは何でもしたい」

 -けがからの復帰を目指す中で引退を決意した理由。

 「会社の方と契約の話し合いの中で、自分でもいろんな葛藤があったが、プロレスラーとしてリング上で最低限見せなきゃいけない(ものを)、お客様に高いお金を払ってもらって対価として見せられる自信がなくなったときがあった。このままじゃ難しいのかなという葛藤があった。ここは(進退を)ハッキリさせなきゃいけないなと。ここ何カ月かいろんなことを考えたが、しっかり試合をするコンディションを整えたい。最後にエキシビションでも、5分でも10分でも試合できればいい。相手はいろいろ考えているが、(去年の)棚橋社長の引退ロードの時期に自分も休んでいたので、社長と試合をやりたかったなという気持ちもあった。社長、もぷ復帰されないんですか?」

 棚橋「うっ(苦笑い)。僕も2003年のG1決勝戦で天山選手にがっつりやられたので(笑)。柴田(勝頼)、中邑(真輔)、棚橋の新闘魂三銃士が3タテを食らった。強かったですね」

 「(当時は新世代に)ここでやられてたまるかという気持ちだった。最後はしっかり(現役生活を)締められるような体調で臨んでいきたい。また後日(対戦相手など)発表したい」

 -G1で思い出もある両国国技館が最後の舞台。

 「自分の中でも両国国技館というゆかりのある会場でもある。いい思い出も、めちゃくちゃ嫌な思い出もある。しかもG1の期間中で、そこで熱い戦いを見せたい」

 -レスラー人生の一番の思い出。

 「たくさんあるが、1990年の3月に入門して、2日目に一度夜逃げして、そこから戻ってきたのがちょうど(同年の)5月11日だったんじゃないかな。再入門した日が。嫌なことばっかりありましたね。新弟子時代は。今は亡き橋本(真也)さん、ライガーさん、いろんな人が(現役感)バリバリの時代で。長州さんもバリバリで、藤波さんとかもすごくて。右も左も分からない新弟子として入門して、いろいろ経験して、海外武者修行も行って、名前を天山広吉に変えて。いろんな思い出があるが、一番は(IWGPヘビー級)チャンピオンになったり、G1クライマックスで初優勝した時は最高にうれしかった。お客さんの熱い声援をもらうときがうれしかった。特に両国国技館は一番やりやすい最高のアリーナだった。最後にもう一回やりたい」

 -やり残したことは。

 「やり残したことはいっぱいあるかもしれません。でも自分が決めたことなので、後ろ髪を引かれるように、いつまでもしがみつくことはしなくていい。やれるだけやったのかなと。プロレスラーとしてもうこれ以上は。全てやったのかなと」

 -新日本に残って今後期待すること。

 棚橋「やっぱり天山選手は(世の中に対する)インパクトがあるので、芸能面で新日本をどんどん広めていってもらう活動と、若い選手にどうやって試合に臨むのか、心持ち、試合を見て、天山さんだから言えるアドバイスなども伝えていってほしい」

 -蝶野正洋さんに報告は。

 「蝶野さんと連絡をとってなくて、この後連絡したい。自分にとっては師匠みたいな、先生でもある。蝶野さんなくして語れない。挨拶しようと思っている。蝶野さんが元気だったら良いが、ぜひゲストで来てもらえたら。『蝶天タッグ』も結成したい(笑)」

 -家族の反応。

 「家族は今まですごく支えてくれて、家の中で大げんかすることもあったが、自分だけじゃなく家族のために仕事をして、けがを治してという思いでずっとやっていた。家族なくしてここには来られなかった」

 -引退を決断するに至った身体の状態は。

 「1年前の5月半ばに、ダメージの蓄積で、腰椎の脊柱管狭窄症で、体を動かしたときに腰から足にしびれが出たり、難病というか、そういう状態が続いた。それを手術して、ちょうど1年になるが回復がなかなか(進まず)、しびれも残っていたり、フラフラしたりとかがあって。だいぶ(状態は)よくはなったが、8月(の引退試合)に向けてあと3カ月、どこまで元に戻せるか。自分的にはもうこれでいくしかない。この身体で最後しっかりいけるところまで治す」

 -新日本一筋で引退する選手は多くない。

 「自分は1回、(入門)2日目に逃げちゃったので。新日本プロレスという団体に入ることも夢だったし、デビューできて、ここまで来たのに他団体に行ったり、違う会社に移籍したりは自分の中では考えられなかった。入門した頃は山本小鉄さんにすごく指導していただいて、小鉄さんにも後ろ足(で砂)をかけて出て行くようなことはしたくなかった。やっぱり新日本が一番だと思って、この業界でやってきているので、他団体に行くなんて考えたこともなかった。だから、今まで新日本でやってこられて本当に幸せです。本当に感謝してます」

 -カルガリー修行時代に体づくりを教わり、リングネームも授かった大剛鉄之助さんへの思いは。

 「自分が天山広吉として生まれ変わる時、大剛さんには名前もそうだし、ヒョロヒョロだった100キロそこそこの体を肉体改造的な感じでトレーニングを教えてもらって。『広吉、お前もっとデカくなってメシ食わなきゃダメだ』『もっと練習して人より2倍、3倍メシを食ってトレーニングしろ』と、ガーって言われてね。『よっしゃいきます』って感じで言っていた若い時代が懐かしいです。もう30年近く前ですけどね。大剛さんも亡くなられて、天国で見守ってくれていると思う。いろんな人に支えられて、助けていただいて、指導していただいて。もちろんファンの人にもたくさん応援していただいて、今自分がここまで来られた。本当に皆さんにはすごく感謝させていただき、あともう1試合、しっかりとできるように頑張ります」

 -引退試合の希望は。

 「今までの選手(の引退試合)を見てて、いろんなパターンがあると思うが、自分的には大勢のタッグマッチというよりも、なるべく1対1のシングルでやってみたい希望はある。タッグでも『テンコジ』や『蝶天』とかあるが、やっぱり自分の力をぶつけたいというか、自分はシングルが理想かなと。(対戦希望は?)社長もどうですかと言いたいところですけど(笑)、やっぱりあの男かな~。天山広吉といえば、あの選手かなと。あえて名前はアレですけど、“いっちゃうぞ”かな(笑)。考えてはいるので、(後日)しっかり発表できればと思います」

 -痩せたことで心配の声もある。体調の不安は。

 「そうですね。痩せたってよく言われるのはめちゃくちゃムカつくんですよね(笑)。そんなの、痩せても別にいいじゃん!何が悪いの?って。痩せた痩せたって言われて」

 棚橋「僕は逆に太って(笑)」

 「社長はすごいね。体調(コンディショニング)はみんないろ大変だと思いますけどね(笑)。まあ自分もこれはちょっともうちょっと増量してね。ガンガン飯を食って。社長みたいに」

 棚橋「僕は短期間で13キロ(増量)ですね」 「すごいですね。自分も体重的にはちょっと落ちてることは落ちてるんですけど、リング上に裸でタイツ一丁で出たいので、またしっかり体を鍛え直してやっていくので。ぜひ最後の試合を期待してもらいたい」

 ◆天山広吉(てんざん・ひろよし=本名・山本広吉)1971年3月23日、京都市出身。91年1月にデビューし、海外武者修行から凱旋帰国した95年1月にリングネームを本名から「天山」に変更した。「狼軍団」「nWo JAPAN」「TEAM2000」、「CTU」「G・B・H」などヒールユニットを渡り歩き、蝶野正洋や真壁刀義らと共闘。また、同世代の小島聡、永田裕志、中西学らと「第3世代」として活躍した。2003年にG1初優勝、IWGPヘビー級王座は3度獲得。得意技はモンゴリアンチョップ、TTD、アナコンダバイス、ムーンサルトプレスなど。183センチ、115キロ。

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