世界王者に〝ならなかった〟最強ボクサー 矢尾板貞雄さん悼む

 プロボクシングの元日本、東洋(現東洋太平洋)フライ級王者で、引退後は解説や評論家として活躍した矢尾板貞雄さんが、13日に小脳出血のために亡くなった。86歳だった。

 「幻の世界王者」と呼ばれた矢尾板さんは、世界王者に〝ならなかった〟伝説のボクサーだ。1955年にプロデビュー。卓越したスピードとフットワークを武器に、白井義男に続く日本で2人目の世界王者への期待がかかった。白井から王座を奪ったパスカル・ペレス(アルゼンチン)に、ノンタイトルで判定勝ちしたが、王座を懸けた再戦は逆転負け。その後も海外の強豪と次々拳を交えた。「ロープ際の魔術師」と呼ばれた62年のジョー・メデル(メキシコ)との一戦には僅差判定で敗れたが、日大講堂には世界戦並みの8000人観衆が詰めかけ、電話調査の視聴率は90%を超えたという。

 同年には、世界王者ポーン・キングピッチ(タイ)への挑戦が決まった。機は熟したと戴冠が期待されたが、矢尾板さんは試合前に突然、引退を表明した。表向きの原因は持病。しかし、その裏には所属ジムの会長との軋轢(あつれき)があったとされている。

 20年以上前、稚拙な質問ばかりの駆け出し記者を心配してか、「おい、飯行くぞ」とよく声をかけていただいた。その後も、後楽園ホールの近くのそば屋や出張先で聞くボクシング談義は、ぜいたくな時間だった。

 引退時のことを聞いたこともある。「後悔したことはないですか?」。あの時、世界戦に代役で出場したのは当時19歳、後に2階級を制覇するファイティング原田。そこから彼は国民的英雄へと駆け上がった。しかし、矢尾板さんは「ないね」とひと言。会長とのいきさつについては「どうしても人として許せないことがあった。だから引退したまでだ」と毅然(きぜん)と言い切った。

 ある日、2人でタクシーに乗り、世界戦会場へ向かっていると、年配の運転手がボクシングファンだと言う。「矢尾板って知ってるかい?私はね、世界王者にならなかったが、歴代で一番強いと思うよ。本当に強かった。特にスピードはね…」

 延々と続く「矢尾板論」の途中で会場に着いた。矢尾板さんが車を降りたのを見計らって「運転手さん、あの人、矢尾板さんですよ」と伝えた。世界王者にならなかった最強のボクサーは、2、3歩歩いて振り返り、いたずらっ子のように笑っていた。

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