安藤統男が契約通り5年間指揮を執っていたら。そして優勝していれば。こんな「たら、れば」が許されるとしたら、4番ファースト掛布も実現していたことになる。

 「安藤さんは(チームづくりを)中長期的に考えているようだった。僕が30を過ぎたらファーストへコンバートするから、打つことに専念しろと言われていた。バースはいなくなるだろうし、清原を指名してサードを守らせるんだと。そんな構想をもっていた」

もしブーマーが外野を守れたら…バースとW獲得も

 現実は1985年度のドラフトで、球団として清原和博を指名したものの交渉権は得られなかった。だが、構想段階では掛布もその気になっていたようだ。

 「藤田平さんも〝もっと早く言われていたら、そうしていた。ファーストは楽やで〟ってね」

 もう一つ。「たら、れば」の話をすると、もしもブーマーが外野を守れていたら、阪神に来ていた―という夢のようなプラン。

 1982年のシーズンオフ、阪神はランディ・バースとブーマー・ウェルズの2人を獲得できる段階まで話を進めながら〝一挙両得〟を断念している。交渉段階で2人のポジションが一塁でかぶることが分かり、実現しなかった。最後は左打者を優先してバースになったという。

 その後、阪急の関係者から確認の連絡が入り、ブーマーを譲った形になったようだ。

 「どちらかが外野を守れていたら2人とも。そうなると浜風があるし、バースのホームラン王も分からなかったね」

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