神村学園チアリーディング部には、優しく見守り続ける顧問と、強くして母校に恩返しをしたいと願う指導者がいた。今夏のジャパンカップ日本選手権のディビジョン1高校部門で決勝進出を果たし、初めて最終日の青マットに立った。結果は9位。堂々の成績だった。
野球部が夏の甲子園に出場し、サッカー部や女子駅伝部など多くの部活動が全国トップレベルの力がある。応援が中心だった彼女たちが、自分たちも全国大会で結果を残すことができることを証明した夏だった。

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なぜ神村学園を描くのか
甲子園経由代々木の夏

「私だけならフライデー(金曜開催の予選)に連れて行くことしかできなかったと思います。彼女がいるから、ここまで来ることができた」

神村学園が初の決勝進出を決めたことを伝え聞いたのは、大会3日目の準決勝を終えてすぐ。

会場の撤収作業をしていた時だった。

取材をしようと慌ててチームを探していると、偶然、近くにいたのが顧問の三腰茉依さんだった。

「私は見守っているだけなんです。日体大でチアをしていたOGが県外から月に何回か来てくれて、この子たちに教えてくれるようになり、それから、できなかったことができるようになっていった」

ほとんどの部員が初心者だという。

どちらかといえば、自分たちが活躍するよりも、全国屈指の実力を持つ野球部やサッカー部などを応援するための存在だったのだろう。

今年の夏も、彼女たちは鹿児島から車中泊で甲子園に応援に駆け付けたのだという。

そんなチームに日体大チアリーダー部出身で、大学4年時にジャパンカップ制覇の景色を見た世代の指導者が加わる。

情熱的な指導者がチームを強くする

そういえば、今大会のディビジョン1高校部門で準優勝した如水館が強くなったのも、帝京大出身の情熱的なコーチがいるから。

沖縄の興南は今年は大会初日の敗者復活戦で姿を消したが、あの高校にも帝京大出身の指導者がいて、そこで育った沖縄初の男子選手が大学部門を2年ぶりに制した帝京大のメンバーに加わっている。

強豪校でもまれた元チアリーダーが、地方の学校で教えるようになり、どんどん強くなっていく。

チアリーディングの裾野を広げるためには、そんな指導者が必要なのだ。

神村学園には5年制の看護学科がある。

チアリーダー部にも看護科の生徒がいるが、3年の夏を最後に引退するという。

「私たちにとっては3年間の集大成なので、やってきたこと、コーチに教えてもらったことを全員で出し切りたいと思います。全員で笑顔で決勝のマットを楽しみたいです!」

キャプテンと副キャプテンの2人は口を揃えてそう言った。

「決勝」を知る記者が描く経緯

神村学園を指導する柳原さん(左)を取材する和泉記者
神村学園を指導する柳原さん(左)を取材する和泉記者

決勝当日の朝。

青マットのすぐそばにある記者席で神村学園の話題になると、1人の記者が目を輝かせながら聞いていた。

「私に取材させてもらえませんか」

その記者は元チアリーダーで、大学4年の夏に初めてジャパンカップの決勝にたどり着き、ここで演技をした経験があった。

彼女なら、神村学園の選手たちを純粋な気持ちで描けるかも知れない。

高校球児が甲子園を目指すように、そこは「特別な舞台」。

選手はもちろん、指導者や、チームを支えている全ての人たちにとって、かけがえのない瞬間になる。

見守る背中、
チアの魅力がそこにある

私はずっと、背中を見ていた。

両手を合わせ、祈るように演技を見つめていた
両手を合わせ、祈るように演技を見つめていた

その先に青マットがあり、選手たちが青春の全てを懸けた舞台に立っていた。

そっと両手を合わせ、祈りを捧げているように見えた。

「生徒たちが力を出しきれますように」

そう心の中でつぶやいているようでもあった。

演技が始まる。

たった150秒の中に、これまで流してきた汗や涙が、結晶のように輝いていた。

技が決まる度に、両手を広げて喜んでいる。

演技が終わると、2人は足早に生徒がいる舞台裏へと戻っていった。

元チアリーダーが描くこの記事は、顧問と指導者と部員の心が1つになって、決勝の150秒に挑んだ「特別な夏の記録」である。

↓元チア記者が描いた記事はこちら↓

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