「知多の大魔神」から電気工事会社の社長へ 元中日投手・大塔正明さん

 「知多の大魔神」。現役時代、そんな愛称をつけられていた元中日投手の大塔正明さん(45)は、兵庫県西宮市で電気工事会社「ダイテックシステム」の社長を務めている。

 名刺には「音響・映像設備、セキュリティー、イベント音響」などの文字。「簡単に言えば『町の電気屋さん』。でもテレビを売るとかやなくて。学校の視聴覚室にスピーカーやプロジェクターをつけたり、町中に防犯カメラをつけたり。技術的なプロ集団です」。会社立ち上げから5年、今では10人の所帯になった。

 星野仙一氏が2度目の中日監督に就任した96年がプロ1年目。150キロ超の直球とフォークで勝負する大塔さんを、愛知・知多半島での2軍戦で見た先輩の山本昌氏が「ハマの大魔神」佐々木主浩氏に似ていると言ったのが愛称の由来だ。

 ナゴヤドーム元年の97年には中継ぎとして43試合に登板し2勝。しかし右肘の故障もあり28歳で戦力外に。「大魔神」になることを期待されながらプロ生活は5年で終わった。

 球団に残る道もあったが、もともと機械いじりが好きだったこともあり、当時結婚していた妻の実家が営む電気工事会社に就職。そこでの経験を生かして40歳で独立した。

 仕事の流れは分かっていたつもりでも、いざ独り立ちすると試行錯誤の連続。資格取得に追われ、経理の知識を詰め込みもした。それでも新たな世界で味わう仕事のおもしろさにも気付いた。

 「汗かいて資料作ってお客さんに説明して大きな物件が取れたときの喜びとか、工事が完成したときに『ありがとうね』って言葉をもらったときの充実感は、マウンドで完投したときの気持ちと似たような感覚」と話す。

 営業先では、かつての肩書が話の糸口になることもあった。「名前が珍しいんでドラファンの人から、もしかして?と言われたり『星野さんってホンマに怖かったん?』と聞かれたりもありましたね」

 実際に怖い監督だったのだろうか。「そ~りゃもう。でも、あれだけ熱く、誠心誠意、物事に立ち向かう人はいない。あの5年間があったから、今があると思う。自分も仕事をやるからには熱い気持ちでやりたい」。その恩師とは4年ほど前、仕事先に向かう途中に偶然再会。「大塔、ちゃんと仕事やってるんか。何かあったら言って来いよ」と声をかけてもらったのが最後の会話になった。

 野球と同じく今の仕事も「一人ではできない」。だからこそチームワークを大事にする。「大手やないけど縁でつながって10人になってる。社長として責任があるし『ついて来いよ』って気持ち。でも、ミスしたときはカバーリング頼むねって」。そう笑って従業員への信頼を口にした。(若林みどり)

 ◇    ◇

 大塔正明(だいとう・まさあき)1973年4月5日生まれ。大阪府交野市出身。近大付属高校から近大を経て、1995年ドラフト5位で指名され中日に入団。通算71試合に登板3勝2敗。防御率3・97。2000年オフに現役を引退。2014年に「株式会社ダイテックシステム」を立ち上げ関西エリアを中心に地域に根ざした電気工事のサービスを展開中。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

あの人~ネクストステージ最新ニュース

もっとみる

    ランキング

    主要ニュース

    リアルタイムランキング

    写真

    話題の写真ランキング

    注目トピックス