七草粥の由来に諸説 江戸時代に幕府が取り入れる 当時の平均寿命は44歳

 そもそも東洋の暦には「五節句」というものがあります。1年に5回存在する季節の節目のことで、七草粥を食べる1月7日も五節句のひとつです。その5つは、1月7日(人日)・3月3日(上巳)・5月5日(端午)・7月7日(七夕)・9月9日(重陽)です。1月7日は「人を大切にする」という意味を持つ「人日」という節句です。はるか昔は、この日だけは犯罪者を処罰しない日。とされていたようです。

 唐の時代、人日の日には七種菜羹(ななしゅさいのかん)と呼ばれる七種の野菜が入った汁を食べて、無病息災を願ったという記録があり、日本には平安時代にこの風習が伝わってきたといわれています。その結果、七種菜羹と、もともと日本にあった「若菜摘み」という風習が融合し、七草粥を食べる文化が浸透していきます。江戸時代になると、幕府が人日の日を「人日の節句」として取り入れたことにより、1月7日に七草粥を食べる文化が確立されました。

 七草粥を食べるのは、青菜の摂取が不足しがちな時期に、しっかりと体に取り入れるためでもあります。さらに、お正月のごちそうで疲れた胃腸をいたわるためという説もあります。江戸時代の日本の平均寿命は44歳だったと推定されます。江戸時代の医学書には、「五十肩」は別名「長寿肩」と記載され、おめでたい病気とされていました。それほどに、健康長寿を願う気持ちは現代より強かったと思います。ちなみに1960年当時の日本人の平均寿命は男性65歳、女性70歳でした。半世紀以上経っておよそ20年のびたことになります。

 閑話休題。七草粥に入れる春の七草は、今ではスーパーで七草粥セットが売られており簡単に手に入ります。昔はそれを集めることも大変で、それがまた良い運動になったのかもしれません。「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ、春の七草」五七五七七で覚えさせられたのって、小学生の頃でしたっけ。

 ◆松本浩彦(まつもと・ひろひこ)芦屋市・松本クリニック院長。内科・外科をはじめ「ホーム・ドクター」家庭の総合医を実践している。同志社大学客員教授、日本臍帯プラセンタ学会会長。

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