【野球】30年のプロ野球人生に区切り 古田敦也氏命名の会社立ち上げ 投手から野手に転向してヤクルトで活躍の宮出隆自さん

 190センチ超の長身を武器に大型右腕としてヤクルトに入団した宮出隆自さん(48)は、投手として6勝をマークし、野手転向後は勝負強い打撃で活躍した。ヤクルト、楽天で17年の現役生活を送り、引退後はコーチに就任。2021年には1軍ヘッドコーチとしてヤクルトの日本一に貢献するなど13年を過ごし、昨年をもって退団した。30年のプロ野球人生に区切りをつけ、新たな一歩を踏み出し宮出さん。「人に恵まれた」と語る野球人生をたどる。

  ◇     ◇

 昨年まで在籍していたヤクルトの話題になると宮出さんの表情は自然と緩む。

 「池山さんの雰囲気作りが大きいですよね。戦力的にそれほど強くないと言われていたチームを一つにまとめている。監督が雰囲気作りを大事にしてきた成果が出てると思います。去年の時点から投手の頭数はそろってきてましたし、キハダの存在が大きいですよね。村上(宗隆=ホワイトソックス)が抜けた穴をどう埋めていくかが大事でしたけど、打順をうまく変えて選手をやる気にさせてますよね」

 池山隆寛監督とは現役時代を共に過ごし、昨年まではヤクルトの2軍監督と2軍打撃コーチとして4年間を過ごしてきた。間近に見てきた、その人柄、指導者としての姿を「めちゃくちゃ繊細で、本当に気づかいの人」だと表現する。

 新指揮官のもと快進撃が続く古巣に向ける期待も膨らんでいるようだ。

 「これから打者は疲れが出てくる時期ですけど、秋に優勝争いをしてほしいし、池山さんやみんなの喜んでる顔を見たいですよね」と熱望する。

 そんな愛着あるチームを昨年限りで退団した。

 愛媛・宇和島東高から1995年度のドラフト2位でヤクルト入りし、投手として6年、野手に転向して11年、計17年の現役生活を送った。引退後はコーチとして13年。計30年間ユニホームを着続けたが、そのプロ野球人生に区切りをつけ、自由な立場を選んだ。

 「50歳手前になって、自分の人生このままでいいのかなと思ったんです。野球だけやって終われるのも素晴らしい人生だと思うんですけど、僕はいろんなことがしたかった。30年間ずっとこの世界だけでやってきて、まだ体が元気なうちに、外の世界を見てみたいと強く思う自分がいたんです」

 プロの世界でお世話になった人たちの退団もきっかけとなった。

 「高津(臣吾前監督)さん、小川(淳司前GM)さんも辞めるタイミングだった。自分も一歩踏み出せる時期なんじゃないかと。思い立ったら行動しないと。結局、このまま終わったという後悔をしたくなかった」と決断に至った経緯を振り返る。

 球団を離れて早速、自身の会社「2M・JACK」も立ち上げた。一風変わった社名は、宮出さんの192センチの身長にちなむ。命名してくれたのは現役時代を共に過ごし監督、選手という間柄でもあった古田敦也氏だった。

 「『よし、俺が会社の名前を考えてやる』って言ってくださって。ありがたいですよね。『“2メートル(M)弱”でいいんじゃないか』と。ただ、“弱”だとちょっと弱いから、席巻するという意味があるジャックにしたんです」

 代表取締役を務める自身の会社を通じて、今春からは退団したヤクルトと業務委託でコーチ契約を締結。再び着慣れたユニホームに袖を通して、幼児から小学生を対象に野球を指導するヤクルトアカデミーで週に5日、コーチを務めている。

 2軍コーチ時代は遠征も多く、ユニホームを着ている時間が長かったが、現在は心身に少しゆとりが生まれたという。

 「自分と向き合える時間もできたし新鮮ですね。野球は好きですし、すごく気になるし、球場にも行こうと思ってます。いろんなことに興味はありますが、今からの人生もやっぱり野球を軸にしてやっていきたいですから」

 新たな一歩を踏み出した宮出さんは笑顔を見せた。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 宮出隆自(みやで・りゅうじ)1977年8月18日生まれ。愛媛県出身。宇和島東高から95年度のドラフト2位で投手としてヤクルトに入団。2002年から野手に転向。06年に規定打席に到達し、打率・275、9本塁打、59打点をマーク。09年から楽天で2年間プレーしてヤクルトに復帰。投手では49試合で6勝5敗、防御率4・73。通算701試合出場で458安打、216打点、39本塁打、打率・277。引退後はヤクルトの1、2軍の打撃コーチなどを務め、21年は1軍ヘッドコーチとしてリーグ優勝、日本一に貢献。

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