【野球】元タイガースを隠したどん底時代 打撃投手→飲食業転身も「何かしたいけど、何をしたらいいか分からなかった」NPB出身初の公認会計士・奥村武博氏
プロ野球出身者として初の公認会計士となり、幅広く活躍を続けている奥村武博さん(46)だが、そこに至る道のりは平坦ではなかった。投手として入団した阪神を4年間で戦力外となり、打撃投手となったが契約は1年で終了。その後、飲食業界へと進んだが、当時は「元プロ野球選手」であることを伏せるほど精神的に追い込まれていた。阪神の18年ぶり優勝、同期の井川投手の活躍がまぶしかった。
◇ ◇22歳で現役を引退した奥村さんは、阪神の打撃投手として再スタートを切った。だが「頭と心のギャップ」に苦しめられ、投げ方が分からなくなっていったという。
「打たせないよう投げることが仕事だったのに気持ちよく打ってもらわないといけない。そういう難しさがありました。ピッチャーの本能じゃないですけど、打たれたくないんですよね」
現役時代、定評があったコントロールの良さは消えた。「ナチュラルに動くボールになったり、変に厳しいところに行ったりして、打撃投手としてのパフォーマンスはすごく悪くなっていった。それもあってクビになったと思います」
他球団で打撃投手を続けることを模索する道もあったが、奥村さんは野球界と離れる決断。その年のオフに甲子園で実施されたトライアウトに打撃投手時代の3桁のユニホームで挑み、野球人としての自分にケジメをつけた。
「ちょっと強がりもあったかもしれないですが、高卒で4年間、プロとしてやって、1年打撃投手ができた。1浪して大学を出た人と同じような年齢と考えたら、早く外に出た方がやりようがあるんじゃないかとおぼろげに感じたんです」
ユニホームを脱いだ奥村さんは飲食業界に転身した。だが、明確なビジョンを持たずに飛び込んだ世界で、自身の甘さを痛感することになった。
「当時は引退して飲食業に進む先輩が多かったんです。自分もそういう場所が好きだったし、すぐ隣にある世界という感じでしたが、入ってみると、あんなに奥深い商売はないと改めて気づきますし、お客さんとして出入りしてたころと、カウンターの向こう側に行った時とでは、同じ場所の見え方が全然違ったんです」
その経験は奥村さんに自身のキャリアについて初めて深く考えるきっかけを与えてくれたという。ただ、トンネルの先に光は見えなかった。
「このままでいいのかなと真剣に考え始めたんですが、自分に何ができるのかとか、そもそも何に興味があってどうなりたいのか、そういうことが全くない状態の中で考えても堂々巡りなんです。何かしたいんだけど、何をしたらいいか分からない。自分の知識や選択肢がない中でもがき苦しんでいただけだったんです」
ストレスから500円玉大のハゲが頭にはできていた。もんもんとする奥村さんの焦りをさらに加速させたのは、古巣である阪神の躍進だった。2003年に星野仙一監督のもとで18年ぶりのセ・リーグ優勝を果たし、関西は湧き上がっていた。チームの中心にいたのは、同期入団だった井川慶投手。エースに成長した左腕は、20勝をマークして優勝に貢献していた。
「スタートラインは一緒だったじゃないですか。彼は日本を代表する投手になっていて、将来はメジャーにまで行く。自分は先が見えない中で、どうやって生きていったらいいかも分からない。どん底に落ちていた時だったので、ねたむような気持ちもあったし、野球も見たくなかった。自分が元タイガースです、というのも仕事をする上では出してなかった」
残酷過ぎるコントラストに葛藤し苦しんだ時期を奥村さんは隠すことなく口にした。のちに自身の根幹をなす公認会計士という職業とも出合っていない苦しい時代だった。
(デイリースポーツ・若林みどり)
◇奥村武博(おくむら・たけひろ)1979年7月17日生まれ。岐阜県出身。97年度のドラフト6位で阪神入り。同期は中谷仁、井川慶、坪井智哉ら。1軍登板なしで01年に現役を引退。02年は阪神の打撃投手を務めた。飲食業を経て、13年に元プロ野球選手として初めて公認会計士の資格を取得。株式会社メンバーズの社外取締役、関西大学客員教授、株式会社スポカチ代表取締役、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事、日本障がい者サッカー連盟、日本プロ野球OBクラブの監事などを務める。
