【野球】「なんだこいつは」同期入団投手に受けた衝撃 野村監督からの「小山2世」の期待…公認会計士に転身した元阪神・奥村武博氏の現役時代
元阪神投手の奥村武博さん(46)はプロ野球を引退後、超難関の国家資格である公認会計士の試験に合格し、幅広く活躍している。高校を卒業後、夢を抱いて飛び込んだプロの世界では、ドラフト同期の井川慶投手に衝撃を受けたが、のちに就任した野村克也監督からは「小山正明2世」と期待を寄せられたことも。だが、奥村さんのプロ野球人生は4年間で終わりを告げた。
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1997年のドラフトで阪神から6位指名を受けた奥村さんは、岐阜・土岐商から初めてのプロ野球選手になった。
社会人野球のJR東海入りが内定していたが、予想もしていなかったというドラフト指名によって違う人生を歩み始めた。
「(社会人を経て)3年後にプロから指名がかかるかは不確実じゃないですか。今チャンスがあるんだったら、チャレンジしたい気持ちが強かった。だから親の反対も押し切ってプロに行くと決めました」
土岐商では甲子園を目指していたが、3年夏の岐阜大会決勝で石原慶幸捕手(現広島コーチ)を擁した県岐阜商に逆転負け。石原捕手からは痛烈な本塁打を浴びている。全国レベルを知らないまま飛び込んだプロの世界では、いきなり同期入団で同い年の井川投手に度肝を抜かれた。
「井川とキャッチボールした時にすごすぎて、なんだこいつはと思ったんです。腰を痛めてると聞いてたんですが、遠投でも自分が助走をつけて思い切り投げないといけないところをワンステップで普通に返してくる」
奥村さんは苦笑交じりに当時を振り返る。
「初めてキャンプに行ったとき、新庄(剛志)さんとか藪(恵壹)さんとか、湯舟(敏郎)さんとか、テレビで見たことがある有名選手がいる中で、そういう人とのふれ合いよりも、同期入団で同い年の、井川との差の方が衝撃というかインパクトは強かった」
彼我の差に打ちのめされた奥村さんだったが、2軍戦のウエスタン・リーグでは井川投手に先んじてデビューを果たしている。
しかし、その年のオフに右肘の故障に見舞われ、12月に遊離軟骨の除去手術を受けた。10代最後のクリスマスは病院のベッドの上で過ごした。
2年目の99年はリハビリにほとんどを費やしたが、その年の秋に就任した野村克也監督は188センチ右腕の制球力を高く評価。「奥村はコントロールがいい、小山2世かな」と、通算320勝をマークし「投げる精密機械」の異名を持った小山正明氏になぞらえ、強化選手に指定するなど期待をかけた。
「自分のセールスポイントでもあったので、そういうふうに見てもらえたのはうれしかった。充実してましたね。あの時期にうまくチャンスをつかめなかったのが…。振り返ればしょうがないなという感じですけど」
2月のキャンプは1軍に帯同、オープン戦でもチャンスをもらったが、開幕1軍はかなわなかった。
2軍の先発ローテに入っていたその年の夏場には肋骨を疲労骨折。その後は右肩痛にも悩まされた。度重なる故障の末、入団から4年目の2001年オフに、奥村さんは1軍登板機会がないまま戦力外を通告された。
何が足りなかったのだろうか。その問いかけに奥村さんは言葉を尽くした。
「自分の特徴は何で、何が弱いからここを伸ばさないといけない、そのためにはこういうトレーニングが必要であるとか、普段からの生活意識とかを突き詰めて考えられなかった。それがすごく自分の中の反省点ですね。ちゃんとしたプロセスを踏めなかったのは自分の甘さだし、体のケアもおろそかだったと思う。それが故障につながったところもある。3年目は本当にもったいなかった」
22歳で現役を引退した奥村さんは、打撃投手として新たに阪神と契約を結んだが、わずか1年で契約終了を宣告された。(デイリースポーツ・若林みどり)
◇奥村武博(おくむら・たけひろ)1979年7月17日生まれ。岐阜県出身。97年度のドラフト6位で阪神入り。同期は中谷仁、井川慶、坪井智哉ら。1軍登板なしで2001年に現役を引退。02年は阪神の打撃投手を務めた。飲食業を経て、13年に元プロ野球選手として初めて公認会計士の資格を取得。株式会社メンバーズの社外取締役、関西大学客員教授、株式会社スポカチ代表取締役、一般社団法人アスリートデュアルキャリア推進機構の代表理事、日本障がい者サッカー連盟、日本プロ野球OBクラブの監事などを務める。
