【野球】4年連続手術乗り越えプロ3球団で19年プレーの甲子園優勝投手、近藤一樹さん 同級生の立正高監督をサポートしながら伝えたいこと
近鉄、オリックス、ヤクルトの3球団で、先発、中継ぎとして活躍した近藤一樹さん(42)は、度重なる故障を乗り越えて、19年のプロ野球人生を送った。日大三高時代には、甲子園優勝投手に輝き、当時のVメンバーでプロ入り同期の内田和也氏(ヤクルト、西武)が監督を務める立正大立正高(東京)をはじめ複数の学校で野球指導を行っている。4年連続手術を乗り越えて最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した苦労人が、高校生たちに伝えたいこととは。
◇ ◇
ともに甲子園で戦い、頂点を極めた仲間のもとで野球指導者としての第一歩を踏み出してから2年になろうとしている。
「自分が現役を辞める時に、内田監督から学生野球の資格回復をしたらどうかと言われたんです。実際に資格が取れた時に声をかけてくれて、ご縁があって最初に来たのがこの学校でした」
自宅のある関西でも女子野球部など複数校で指導を行っており、近藤さんが都内の立正グラウンドに立てるのは月に2~3回と限定されている。
「毎日見てあげられない申し訳なさはあるんですけど、次に来るまでの間にこのノルマはクリアしておいてといった感じで宿題を出して、1カ月後に選手の成長を見る。それでいいですよと言ってもらってる感じです」
24年には立正の助監督として内田監督をサポートする貴重な機会にも恵まれた。
「ユニホームを着て、夏の大会とかのベンチに入れたんです。内田監督の隣で投手をこう運用しようみたいなこともできた」と刺激を受けた。日大三高が夏の甲子園で初優勝した2001年当時のエースと主力打者のタッグは、同世代の指導者らから注目を集めたようだ。
01年のドラフト会議でも日大三高は話題となった。近藤さん、内田監督を含めた同期4人が指名を受けてプロ入り。これは同一高からのドラフト指名の史上最多タイ記録だった。
ヤクルトに入団した内田監督は6年のプロ生活を送った後、会社勤めをしながら指導者を志して教員免許を取得し、先にセカンドキャリアをスタートさせた。「退団した後に大学に入って卒業して先生をやって。僕からすると勉強になる存在なんです」と教壇に立ちながら、野球指導も行う姿に敬意を示す。
近藤さんは同期4人の中で一番最後に近鉄から7位で指名されたが、結果的にはもっとも長くプロ野球の世界で活躍を続けることになる。
ただ、その道のりは順風満帆ではなかった。4年連続しての肘の手術や育成選手での契約もあった。それでも幾度となく復活を遂げ、3球団目の所属先となったヤクルトでは35歳で最優秀中継ぎ投手のタイトルも獲得した。
波乱に満ちたプロ野球人生を送ったからこそ、かつての盟友である内田監督が自分に期待する役割が技術指導だけでないことは自覚している。
「自分はプロでは半分以上ケガをしてましたけど、その後にケアをして復活できた。それは自分の自信でもある。そういうところを期待してくれてると思う。そうした知識を高校生とかに還元できる立場にいる。それを指導していきたいんです」
故障を重ねたことで故障しづらい体の使い方を追及し、ケアの重要性を学び続けた。そうした経験が19年という長いプロ野球人生につながっている。
「今の知識のままで現役をやってたら、もう1、2年ぐらいローテーションに入れたかもしれないですね」
そう笑った近藤さんは、伸び盛りの選手たちに向き合う今をこんなふうに表現した。
「完成された選手だったら、もう言うことはないですよね。ここを改善したら、もっとすごいぞっていうのが、メッチャある。伸びしろがいっぱいあるから、それが今は楽しみです」
(デイリースポーツ・若林みどり)
近藤一樹(こんどう・かずき)1983年7月8日生まれ。神奈川県出身。日大三高3年時の夏の甲子園で優勝。2001年度のドラフト7位で近鉄入団。分配ドラフトで05年からオリックスでプレーし、育成契約を経て、16年途中にトレードでヤクルト移籍。18年に最優秀中継ぎ投手のタイトル獲得。20年オフの退団後、四国IL香川でコーチ兼投手として2年間プレーして引退。NPB19年間で347試合に登板、43勝57敗4セーブ、83HP、防御率4・50。現在は野球解説者、立正大立正高野球部など複数校で指導者としても活動中。





