【野球】2度の戦力外通告から時給850円での修行「やらなければ生きていけなかった」元カープ投手小林さん

 元広島カープ投手の小林敦司さん(53)は現在、北海道・別海町に移住し、独立リーグの別海パイロットスピリッツ投手コーチを務めている。広島で10年、ロッテで1年プレーして2001年にプロ野球人生にピリオドを打った小林さんはのちにパティシエに転身して、15年に待望のカフェをオープンさせた。第二の人生を踏み出すまでに過ごした時給850円、プロ野球の世界とは全く別の修行時代を振り返った。

  ◇  ◇

 小林さんはプロ10年目の2000年オフに広島から戦力外通告を受けた。前年は自己最多の30試合に登板していたが、この年は4試合の登板に止まり2軍にいることが多くなっていた。

 「やっぱり1軍にいなければ分かることですし、自分の中では、来たかという感じでしたね」

 冷静に宣告を受け止めた。退団後は、母校の拓大紅陵高出身者のツテをたどってロッテのテストを受け合格。新たなユニホームを着て6試合に登板したが、わずか1年で2度目の戦力外通告を受けることになった。

 現役続行を目指した小林さんは、この年から始まったトライアウト受験のため、会場のジャイアンツ球場に行ったが、実戦に参加することはできなかった。

 「ウォーミングアップしてキャッチボールで1球投げた時に肩に痛みが出て投げられなくなった。無理ですと伝えて帰りました」

 現在のように独立リーグや、社会人野球への復帰もなかった時代。辞めるしか選択肢はなかった。

 「カープが10年いさせてくれたし、セとパ両リーグも経験できた。イースタンとウエスタンの違いも知ることができたのはよかった」と世話になった球団への感謝を口にした。

 野球への未練を断ち切った小林さんは、板前の父親が東京・赤坂で経営する割烹に見習いで入った。

 「僕は楽な道に進んだと思ってます。最初は親のところに入りましたから。一応、継ぐつもりでいたんですけどね。でも、親だから言いたいことも言ったりしてケンカみたいになったり。支えられたらいいなと思ったけどそれも難しくなって」

 ちょうどその頃、母親がカフェを開くことを希望していたことから、ケーキ作りの道を目指すことに。タルト、ケーキの有名店に製造のアルバイトとして入り、修行の日々が始まった。

 「生地を作るんですけど、力仕事だし大変でしたね。何十台も作りますから。朝から晩まで働いて当時は時給850円でした。プロ野球は年齢の世界ですけど、アルバイトは入った順だし、20歳ぐらいの女の子に結構怒られましたね。でも教わらないといけないし、できれば怒られないわけですから、できるようにしようと頑張りましたね。プロ野球にいたら、そういうことも分からなかった。勉強になりましたね」

 5年ほどのケーキ修行を経たのちも、カフェでのアルバイトを掛け持ちするなどして料理の腕を磨いた。東京・代官山に念願のカフェレストランを開いたのは、引退から14年後の2011年だった。

 「最初の2年は1日も休まなかったですね。店に行ってないと不安でしたから。土日はアルバイトに来てもらってたけど、ほぼ一人でやってました。体も丈夫だったからできたというか」

 看板メニューであるチーズケーキは人気を呼び固定客もついた。華麗なる転身を遂げた元プロ野球選手が経営する店はメディアでもたびたび紹介される人気店となった。

 「やらなければ生きていけなかったから。生きる術です」

 引退後、進んだパティシエの道を小林さんはそう表現した。

(デイリースポーツ・若林みどり)

 ◇小林敦司(こばやし・あつし)1972年12月8日生まれ。東京都出身。拓大紅陵高から90年度のドラフト5位で広島に入団。サイドスローに転向して95年7月29日の中日戦でプロ初勝利。99年に30試合に登板。00年にロッテ移籍し同年オフに引退。プロ通算11年で59試合に登板し1勝1敗、防御率4・40。引退後はパティシエに転身。2011年から25年5月まで東京・代官山でカフェを経営。北海道別海町に移住して別海パイロットスピリッツの投手コーチを務める。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

インサイド最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス