【野球】元阪神選手の長男・関本勇輔 大学中退もプロ入りを目指す理由 原動力は父・賢太郎氏の引退試合
元阪神・関本賢太郎氏の長男の勇輔捕手(22)は、大学中退の挫折を経て再びNPBの舞台を目指している。現在は社会人野球チーム「SUNホールディングスWEST」で3年目を迎え、捕手として活躍。「第一はプロ野球選手にとにかくなること。今はそこしか見ていない」と力を込めた。
履正社時代の2年夏は背番号「12」でベンチ入りして全国優勝を経験。その後は主将も務めて正捕手としてマスクを被り、プロ注目選手として名を上げた。プロ志望届けを提出して指名漏れとなったものの、4年後のプロ入りを見据えて日大に入学。ただ、大学野球のレベルの差に圧倒された。
「プロ野球選手になりたくて入って、そもそも大学野球のレベルに達していないなと。そこで心が折れた。無理やなと」
父が元虎戦士ということもあって注目された高校時代だったものの、自分で確かな手応えは感じられていなかったという。「僕の中ではキャプテンになったこと、試合に出ていたことも確信がなかった。疑心暗鬼の中でやってきて大学に入ってダメだったかと」。2年春で大学を中退し、野球から離れる決断を下した。
父・賢太郎氏の引退試合。当時、中学生だった勇輔はセレモニーで花束を渡した。スタンドが虎党の黄色一色で埋め尽くされていた光景は今でも鮮明に脳裏に浮かぶという。
「引退セレモニーって父を見に来るようなもの。その日はたしか広島戦でレフトスタンドの赤も残っててすごいと思って。そこから野球に本格的に取り組むようになりました」
大学を中退して就職の道も考えていたある日。偶然、YouTubeで父の引退試合の動画が流れてきた。父に憧れ、本気でプロ野球選手を目指そうと決意したあの日の気持ちがよみがえってきた。「こうなるのを目指していたのにレベルが高いからという理由でやめて家に帰ってきて。なにしてんねやろって。その時にまたやろうと思った」。父からも「やった方がいいよ」と背中を押してもらい、再びプロ入りを目指して野球を続けることに決めた。
黒川監督とも縁があってSUNホールディングスWESTの創部メンバーとして入団。午前中は練習し、午後は電気工事に関する仕事に出社と多忙な毎日を送る。電気工事士の資格習得も目指しており、夜1時間の勉強も欠かさない。自由な時間はほとんどないが、それも夢をかなえるため。「僕がそれを選んで覚悟してきた。大丈夫です」と社業と野球の両立も苦にしない。
「(プロ野球選手になるために)今はそれを全部生活にしている」と勇輔。紆余(うよ)曲折を経験して再び白球を握る22歳。かつて父が輝いていた舞台を目指し、夢を追い続ける。(デイリースポーツ・北村孝紀)





