【スポーツ】なぜ異次元の挑戦を?24歳・杉原愛子が3大会連続五輪目指す理由 一度は体操女子の第一線から退いたベテランの原動力とは

 体操のパリ五輪出場を目指す戦いが本格的にスタートした。4月11~14日に五輪2次選考会を兼ねた全日本個人総合選手権が高崎アリーナで行われ、日本女子史上3人目の3大会連続五輪出場を目指す杉原愛子(24)=TRyAS=は5位に入り、上位4人以内が確実にする五輪切符獲得へ好位置につけた。一度は第一線から退いたベテランの、競技復帰への道のりと普及への熱い思いに迫る。

 「愛子~!」。全日本の女子決勝の日、高崎アリーナにひときわ大きな歓声が上がった。観客の視線の先には、3度目の五輪出場を狙う杉原がいた。ベテランは次々と高難度な技を繰り出し、得意の床ではくるくると表情を変えて熱演。観客に手拍子をあおる姿には、エンターテイナーとしての顔ものぞいた。

 異次元の挑戦をしている。杉原は東京五輪後の22年、競技に「一区切り」をつけた。指導者、審判、大会の解説までマルチに活動する中で、体操競技を外側から見る機会も増えた。その中でふつふつと湧いてきたのは「体操をメジャーにしたい」という思いだった。

 「野球とかサッカーとか、今はバスケットボール、バレーボールとかも注目されてると思うんですけど、体操も『メジャースポーツ』に広めたいなって思った。体操の試合ってあんまり情報が入らなかったりする。体操のエキシビションとか、フィギュアのようにアイスショーみたいな、そういったイベントとかもできるように広めていきたい」

 その活動の第一歩が、昨年6月の全日本種目別選手権での競技会復帰だった。床運動で2年ぶりに優勝し、「自分でも驚いている」と笑った。その後も競技会に出場しながら、肌面積の狭いレオタードを開発するなど競技のために尽力。昨年11月にはパリ五輪挑戦を表明した。体操をメジャーにするプロセスで「一番目立つ所は五輪だから、パリを目指そうと思った」と自身が体操界の“広告塔”となろうという思いだった。

 活動の幅はさらに広がった。パリ五輪に向けた活動資金としてクラウドファンディングで約500万円を集め、2月には16年リオ五輪の金メダリストであるシモーネ・バイルズらが練習する米国のクラブチームで2週間の合宿を敢行した。以前から「経済的な理由でやめる選手もいる」ことが気になっており、自らがロールモデルになることを望んだ。

 24歳という年齢は、決して若くはない。全日本個人総合選手権で決勝を共に回った予選上位6人のうち4人は10代。「心配はあった」と言いながらも、予選3位でパリ出場圏内の上位4人に入った。決勝は5位と順位は落としたものの、最終選考会となる5月のNHK杯で十分に巻き返せる位置につけた。「意外とまだいけるなって感じで。『まだピチピチの10代には負けへんで』って思いながら、24歳頑張りました!」とハキハキとした関西弁で手応えを語った。

 マルチな活動を行っていても五輪を本気で目指しているし、選手としての本能も衰えてはいない。大一番のNHK杯へは「今は代表の位置に入っていない悔しい気持ちに、逆にうれしさを感じている」と逆境に燃えている。「体操の面白さって、着地が一歩動いただけでメダルの色が変わるほど体の究極(な動き)をしていること。それを見せられるように全力で楽しみたいです」。2つの夢を追いかけるベテランだからこそ、見せられる景色がある。(デイリースポーツ・田中亜実)

 ◆体操女子のパリ五輪代表選考 代表は5人で、全日本選手権の得点を持ち点に争う5月のNHK杯(高崎アリーナ)で上位4人を選び、残りはチーム貢献度で1人が代表入りする。全日本終了時点で宮田笙子(順大)が109・798点で独走し、杉原は106・496点で5位。4位の岡村真(相好体操ク)とは0・034点差と逆転可能な位置につけている。

 ◆杉原愛子(すぎはら・あいこ)1999年9月19日、東大阪市出身。4歳から体操を始める。小4の時に、北京、ロンドン五輪代表の新竹優子が所属した羽衣体操クラブに入った。現在は自らが立ち上げたTRyAS所属。15年アジア選手権で個人総合金メダルを獲得。16年リオ五輪で団体4位入賞。21年東京五輪で団体5位入賞。家族は両親と姉。152センチ。

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