【野球】ナベQこと西武・渡辺久信が名投手としての残り香を放った日 96年にノーノー達成

 西武・渡辺久信GM
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 名投手の残り香をかいだことがある。長いこと記者をやっていると、選手が最後に輝きを放つ瞬間に遭遇することが何度かある。現在、プロ野球・埼玉西武ライオンズの球団本部ゼネラルマネジャーを務めるナベQこと渡辺久信(55)が、1996年6月11日にオリックス相手に演じたノーヒットノーランがそうだった。この年西武担当として、シーズン中に書いた1面原稿はこの1度だけなので、よく覚えている。

 かつては、私服でDCブランドを着こなし、近鉄・阿波野秀幸、日本ハム・西崎幸広らとともに「トレンディーエース」と呼ばれ、1986、88、90年と最多勝のタイトルに輝いた投手である。

 当時は交流戦がなく広島、ヤクルト、巨人の担当記者として日本シリーズで投げる渡辺の姿しか知らなかった。それだけに、別人のようにすごみを欠いた投球に一抹の寂しさを感じていた。

 実際、前年の95年はシーズン途中から中継ぎに降格され、先発はわずか7回。右肩の故障もあり、その後の大半はファーム暮らしで、1年目の84年に挙げた1勝(1敗)を除けばワーストの3勝(4敗)に終わっていた。

 だが、95年のオフに「体形が崩れるから」とかたくなに拒否していた筋トレを開始。その成果もあり、96年はなんとか先発ローテーションの一角に名を連ね、4勝を挙げて迎えたのが6月11日、西武球場でのオリックス戦だった。

 入団以来、こだわり続けたストレートを見せ球に使い、勝負所でのスライダー、フォークがさえた。あのイチローにも本来の打撃をさせず捕邪飛、2つの二ゴロ、そして九回に回ってきた最後の4打席目も、中飛に打ち取った。試合後、渡辺が言った「打たれるなら九回のイチローしかないと思っていた」という言葉が特に印象に残っている。5四球こそ与えたが、114球の快投。当時、史上63人目、74回目の偉業だった。

 それが名投手としての残り香だったかもしれない。6月20日のロッテ戦で西武では最後の勝ち星となるシーズン6勝目、通算124勝目を挙げたが、それ以降は8月末までに5連敗。その後は東尾修監督が翌シーズン以降を考えて若手主体に切り替えたため2軍落ち。シーズンを終えることになってしまった。

 結局、渡辺は98年に野村ヤクルトに移籍。「野村再生工場」での復活を期待されたが、19試合に登板して1勝5敗1セーブ、防御率4・23。オフに戦力外通告を受けて、台湾野球に活躍の場を求めることになった。

 だが、これが今の渡辺の財産になっていることは間違いない。2008年、西武の監督就任1年目でリーグ優勝、4年ぶりの日本シリーズ優勝を果たし、アジアシリーズ制覇に導いた。現在はフロントとして西武にはなくてはならない存在となっている。今も野球人としては輝きを放ち続けている。

 なお、渡辺と代わってエースの座に就いた西口文也が、ノーヒットノーラン未遂、幻の完全試合を体験した投手なのは妙な因縁を感じる話である。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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