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【野球】古田敦也監督のすごい剣幕 ノムさんも望んでいた“再登板”

 すごい剣幕だった。「お前さ、何でいつも人の嫌がる話ばかりするんだよ」。07年の8月、炎天下の神宮球場。声の主は、ヤクルトの古田敦也選手兼任監督だった。

 こちらに非があった。当時、私は初めて担当球団を持った新米記者。配慮が足りず、監督自身に直球で去就に関する質問を繰り返していた。

 この時はふたりだけ。「すみません。もう聞きませんので…」と謝ったが、鬼デスクの顔もちらつき、ずうずうしくこう付け加えた。「もし、何か決まった場合は事前に合図を下さい」。古田監督は絶句していた。

 名将・野村克也氏に捕手道をたたきこまれた「ID野球」の申し子。ただ、監督時代は悲運だった。戦力不足は否めず、3位、6位。球界随一の“頭脳”を生かせる場面は少なかった。

 冒頭の2年目はボロボロ。5月下旬には借金16までふくらみ、「もう引退しろ」、「辞めろ」の厳しいヤジが飛んだ。早くも去就の話題が上がり始め、「まだ5月でしょ?勘弁してよ」。そう言う古田監督の表情には疲れがにじんでいた。

 要望した補強は通らず、当時の球団幹部と衝突。専任監督のオファーもきたが、気持ちが切れてしまった。退任会見では「さみしいより悔しいほうかな。よく分からない。すみません」と言葉を飲み込み、涙を拭っていた姿が印象的だった。

 ちなみに古田監督は退任発表の前日、私のお尻をバットでポンポンとたたいた。笑顔で「おう」と言われたが、鈍感な新米記者はそれが“合図”だったことに気づかなかった。

 翌年から野村楽天の担当になった。「古田は何やってる?もったいないな。どこでもいいからユニホームを着ればいいのにな」。ノムさんは事あるごとに愛弟子を気にかけていた。

 「また会いましょう」と、ファンに別れを告げてから13年。オフにはさまざまな球団で監督候補として名前が浮上する古田氏だが、実現には至っていない。当時は右肩痛に苦しみ、兼任監督として相当な苦労があった。今ではキャスターとしての地位を不動のものにしているが、いつか、どこかで“再登板”があるのなら間違いなく、違う野球を見せてくれる。勝手にそう思い続けている。(デイリースポーツ・佐藤啓)

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