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【野球】日本ハム・大田の転機 星野氏、王氏もほれた逸材の運命

阪神戦で12球団から本塁打をマークした日本ハム・大田(19年6月) 
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 人生はどう転ぶか分からない。大田泰示の野球人としての運命を見ていると、そう思わずにはいられない。

 野球担当としてさまざまな舞台裏を取材してきたが、あの日の張り詰めた緊張感は特別なものだった。

 ドラフト会議が行われた2008年10月30日、東海大相模野球部の監督室。長い沈黙に続き、携帯電話を手にした門馬監督が「巨人!」と叫んだ瞬間、大田はバチンと両手を合わせ、ひざに顔をうずめていた。純粋な18歳の気持ちに触れ、全国から注目を浴びる人間にしか分からない、重圧の一端を見た気がした。

 大田はこの年の目玉選手。ドラフトの模様は今でこそ地上波で中継されているが、当時は放送がなく、現場の状況を知る手段は関係者からの電話連絡だった。巨人と、大田の能力を高く評価していた王会長のいるソフトバンクが1位指名。2分の1のくじ引きの末、プロ野球人生がスタートした。

 その巨人で、大田は8年も苦悩の時間を過ごすことになる。ただ、その間も潜在能力を信じて疑わない球界関係者が多くいたことで、大田の運命は変わった。

 日本ハム移籍が決まる以前には、楽天・星野副会長も水面下でトレード交渉。左腕投手を軸に交換要員を提示し、獲得に名乗りを挙げた。大田の出身広島を本拠地とするカープからも、評価する声が巨人関係者に届いていた。

 当時、巨人の堤GMは低迷脱却へ戦力整備に奔走する一方で、能力のある自軍の選手を“飼い殺し”にすることを嫌い、積極的にトレードする考えを持っていた。大田の放出は巨人の重要案件として長い時間をかけ、慎重に協議を重ねて決定されたという。

 巨人から連絡を受けた際、大田はすぐにトレードを覚悟。後日、当時の心境をこう明かしている。

 「車の中で、まず自分の立ち位置を考えました。日本ハムの外野は陽さんが抜け、はるき(西川)、こんちゃん(近藤)、他はそんなにいなかった。若い選手はいたけど、自分はその中なら『勝てる』『勝負できる』という変な自信がありました」。

 ピンチはチャンスとばかりに生まれた前向きな感情。本来のプレーを見失っていた大田が、よみがえった瞬間だった。

 大田は昨オフの契約更改で1億円プレーヤーとなり、日本ハムや巨人にも感謝の思いを示した。プロ入り時を取材した人間として感慨深いものがあったが、本人は「まだまだできると思っている」とコメントしていた。まだ29歳。今季もダイナミックなプレーが見られることに期待し、球春到来を待ちたい。(デイリースポーツ・佐藤啓)

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