【野球】センバツ中止…ヤクルト・小川が言葉を詰まらせた訳は

 衝撃的で、悲しい…でも仕方ないことなのかもしれない。それはたくさんの感情が入り交じり、一言では言い表すことのできないニュースだった。

 日本高野連が11日、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、第92回選抜高校野球大会の中止を決定。夢の舞台だけを目指して走り続けてきた球児たちの前に立ちはだかったのは、見えない敵。かつて選抜ならではの21世紀枠で甲子園に出場した、ヤクルトの小川泰弘投手(29)もそのニュースに胸を痛めたうちの一人だった。

 3度目につかんだ“挑戦権”だったという。3年連続で21世紀枠の候補になりながらも、なかなか選ばれることができず。ようやく夢がかなったのは、高校3年生のときだった。「先輩たちのおかげ。だからこそ選ばれたときはより喜んだし、街全体が盛り上がったことは今でも覚えています」。甲子園切符は、みんなでつないだ夢。そんな舞台だった。

 2008年。甲子園、春-。愛知・成章高時代に、小川は甲子園の土を踏んだ。1球ごとに勢いを増す歓声、マウンドから見える素晴らしい景色。アルプスや内外野席には約6000人が駆けつけ、当時を「貴重な体験だったし、鳥肌も立った。甲子園はそういう思いができる場所でした」と振り返る。

 試合前夜には、ベッドの中でイメージトレーニングも行ったという。球児だった小川は、試合後に「絶対に校歌を歌うという。イメージ通りになりました。応援したくれた人やOBの方のためにも勝ちたかった」と話しており、粘り強い投球で完投。先輩たちから受け継いだ“バトン”を、聖地初白星に変えた。

 出場することの難しさや、あの輝きを知っているからこそ、小川は言葉に詰まった。だが、テニスなどその他の全国大会もすでに中止が決定。だからこそ言葉を探しながら、選びながら球児たちを思った。「甲子園に出たら、人生が変わると言ったら大げさですけど…。でもそういう子もたくさんいると思う。野球だけやるというのも難しいですけど、でも球児たちのことを思うと…」。無念さはにじむ。

 だがかつて小川が二回戦で敗退し、「また戻ってきたい」と誓ったように、静かに祈った。今夏への糧となれるように。「球児にとって、甲子園は憧れの場所ですから」。選抜に向けてやってきた練習は無駄ではない。必死に前を向く球児たちを、最後まで思いやった。(ヤクルト担当・松井美里)

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