【野球】第2の人生をスタートさせたもう一人の怪物

 平成の怪物・松坂が、沖縄・北谷(ちゃたん)で復活への歩を踏み出した。北谷から北に車で約20分、中日の2軍がキャンプを張る読谷(よみたん)で、もう一人の怪物が新たな人生のスタートを切った。昨年限りで21年間の現役生活に別れを告げ、今季から打撃コーチに就任した森野将彦だ。

 横浜高の松坂が春夏連覇で甲子園を沸かせる2年前の1996年夏、怪物は誕生した。平塚球場で行われた神奈川大会準々決勝・横浜高戦。東海大相模の森野は相手バッテリーが3敬遠と勝負を避ける中、「バットが届くと思ったし、そういう球を打つ練習もしてきたから」と敬遠球を引っ張り込み、右翼席へ2ランをたたき込んだ。惜しくも2-5で敗れ、甲子園への道は閉ざされたが、その試合でわずか1度しか許されなかったスイングで本塁打した少年を世間は“怪物”と呼んだ。

 通算1581安打。21年間のプロ生活を森野は「悔いはない。すっきりしてます」と屈託のない笑顔で振り返る。今から5年前の13年、35歳の時に「体がついて来なくなったら、引退しよう」と心に決めた。昨年、右ハムストリングを2度、肉離れした。

 「今までに痛めたこともなかった場所。技術的にはまだまだやれると思ったけど、体が限界なんだと思った。リハビリして、治して、まだ選手を続ける道も考えたけど、このケガを治したからといって体がついてくるようになるとは思えなかったし、ケガしたことで心も少しずつ弱くなっていった。技術だけではやっていけないと…。ある意味、思い描いた通りに引退できました」

 森野といえば思い出すシーンがある。05年秋の沖縄秋季キャンプ。打球に飛び込むことが許されない落合監督のノックを2時間受け続け、酸欠と脱水症状でダウン。水をぶっかけられ、ようやく目を開けた森野に「お礼に何かおごってくれるんだろ?」と軽口をたたいた指揮官が後に、「あれはやばいと思った。人殺しになってしまうのかと。森野の親に顔向けできなくなると思った」と振り返ったシーンだ。

 背番号75のユニホームに袖を通し、肩書は選手から指導者に変わった。懸命にバットを振り、試行錯誤を重ねる若手の姿をじっくりと眺め、時にアドバイスを送る。

 「教えるだけの指導者にはなりたくない。調子がいい選手は『今の感じを大事にしろ、覚えておけよ』と声掛けする程度。逆に、調子が悪くなった選手に頼られるコーチでいたい。一緒に悩んで、苦しんで、考えて、調子が上向く方法を見つけていきたい。それが僕の描くコーチ像です」

 現役に一切の未練と後悔を残さず、第2の人生のスタート切ったもう一人の怪物。果たして彼がどんな打者を育てるのか。興味は尽きない。(デイリースポーツ・鈴木健一)

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