名城と枝川会長 プロアマ越える師弟愛

 プロ・アマ間の壁を目の当たりにする光景だった。

 元WBA世界スーパーフライ級王者・名城信男が3日、現役引退と母校・近大ボクシング部のヘッドコーチに就任することを発表。近大で行われた会見には同じくOBで元プロボクサー、タレントの赤井英和総監督らが参加し、元王者は盛大に再出発した。

 だがその場に名城を手塩にかけ育てた六島ジム・枝川孝会長の姿はなかった。世界王者に2度も就かせ、ともに泣き笑い10年を戦った師は、愛(まな)弟子の成功を願い、同席を自粛した。

 理由は近年まで、ほぼ断絶状態にあったプロ・アマに配慮したためだ。2010年以降、日本ボクシング連盟の山根明会長がプロとの共闘に転換。11年8月、赤井氏がプロ経験者の指導資格適用第1号となった。とはいえ、完全に雪解けとなるにはまだ時間が必要なのが現状だ。

 アマ指導者に転身する愛弟子の再出発に「プロの自分がいるのは都合が悪いだろう」と熟慮の末、判断。近大側にすべてを任せ、自らは関わらなかった。

 名城の会見終了後、枝川会長は近大に現れた。話を聞こうとする記者を「ここじゃない方がいい」とストップ。「ちょっとわがままに付き合ってくれや。近いから行こう」と10分程、歩いた。向かった先は東大阪市・東大阪アリーナ。06年7月22日、名城がデビュー8戦目、当時の最速タイ記録で世界王座を奪取した思い出の場所だった。

 同アリーナ併設の喫茶店で本人不在、会長1人の“引退会見”は行われた。8年前、大逆転の戴冠劇を振り返ると止まらなかった。

 「名城は1回にフックで倒れてな。(興行に)何千万円もかかったのに数秒でパーになった、と思ったよ。でも気持ち入ってたら効かないんよな。よう盛り返して10回TKO。あの時の喜びを超えるのは今までないよ」。

 本業の不動産屋の傍ら、ジムを立ち上げ、わずか3年での世界王者輩出。「ほんま勢いだけやった。怖いもの知らずってやつや。試合会場に名城と挑戦状を持って行ったら『何してるんや!』ってえらい怒られたこともあったな。素人会長の俺を男に、世の中で男にしてくれたのが名城やった」。名城の歩みがまさに六島ジム会長の歴史だった。

 「ボクシングしかできへんやつやから」と、将来は自身とともに、ジムを支えて欲しい気持ちはあった。それでも「しゃべりもできんし、何もできん。外の空気を吸うことは人間・名城にとってプラス」との思いで、たもとを分かった。

 指導者として今後はライバルにもなる。「うちのジムにも五輪を狙ってる選手はおる。第1章は終わりよ。次を育てる。名城には負けへんよ。絶縁、破門や」と突き放し、気持ちを前に向けた。

 一心同体だった師弟は別々の道を歩み出すことになった。その区切りとなる引退会見をそろって行えず「さみしい」と2人は声をそろえていた。門出に万が一の“クレーム”を警戒し、必要以上にプロとアマが距離を取った結果だった。深い愛で結ばれた師弟の絆‐。プロ・アマの関係より大事なものがあると思うのだが…。

(デイリースポーツ・荒木 司)

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