金獲得の乙黒拓斗 道場は自宅の8畳客間 兄弟で腕磨いた“365日合宿”
「東京五輪・レスリング男子フリースタイル65キロ級・決勝」(7日、幕張メッセAホール)
男子フリースタイル65キロ級は初出場の乙黒拓斗(22)=自衛隊=が決勝でアリエフ(アゼルバイジャン)を5-4で退け、金メダルを獲得した。男子の日本勢ではグレコローマンスタイルを含め、12年ロンドン五輪フリースタイル66キロ級の米満達弘以来の優勝となった。
乙黒兄弟を生んだのは幼少期の“365日合宿”だ。といっても道場は山梨県笛吹市の実家。8畳の客間の畳の上にマットを敷いた、父正也さんお手製の練習場だった。高校時代にレスリングをやっていた正也さん(47)は、息子にもやらせたいと考えていた。小学生時代はサッカーにも熱中していた兄圭祐を「当たり負けしなくなるよ。柔軟性も身につく」とうまく誘い込み、徐々にシフトさせていった。
マンションの4階に住んでいた頃も布団を敷いて兄弟で組み合っていたが、騒音を気にしていても熱が入ると大きな音が漏れてしまう。「近所から虐待を疑われてしまいかねないので、これはまずいなと(笑)」。拓斗が小学1年の時に現在の自宅に移り住むと、365日レスリング漬けの日々が始まった。
学校から帰宅すると、まずは玄関でレスリングシューズに履き替える。ただ、練習の前に宿題を終わらせることをルールにした。すると、レスリングに熱中しだした拓斗は、学校の休み時間に宿題を全部終わらせてから帰宅するようになった。そのことを学校の先生から伝え聞いた正也さんは「あいつ、そんなところがあるんだな」と潜在的なストイックさを垣間見たという。
父も熱意で応えた。毎日の朝練は当たり前。職場の飲み会は断るようになり、午後6時に帰宅して深夜まで練習に付き合った。ただ、厳しさと同時に“アメ”も忘れない。欲しいものがあれば何でも買い与え、あきるまでやらせた。当時小学生の間で大人気だったベイブレードは、どこの店も売り切れ。隣県の静岡まで探し回り、子供の要求に応えた。
でも、結局最後に残るのはレスリングだった。どんな遊びにも、自ら手にしたメダルに勝るカタルシスはない。「メダルを獲ったら、もっといい色があるよとか、こんな大会があるよとか言って、その気にさせて」。気づけば、最も大きな大会の金メダルを目指すようになっていた。
あまりに濃密な父子の日々は、2人が五輪を目指して親元を離れるまでの6年で終わった。父は、兄弟が巣立ってからしばらくは抜け殻のようになり、ずっとそわそわしていたという。正也さんが「歯を磨くくらい当たり前だった」というほど生活の一部だった8畳間の練習場の写真は1枚も残っていない。メダリストを生み出した部屋は、現在は夫婦の寝室になっている。