入江聖奈の金 ルーツはたった20人のスパー大会 女子の競技化に尽力した原千恵さん

 1回、攻め込む入江聖奈
 第1回全日本女子ボクシングスパーリング大会=96年12月
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 「東京五輪・ボクシング女子フェザー級・決勝」(3日、両国国技館)

 女子フェザー級、入江聖奈(20)=日体大=の金メダルの陰には、女子ボクシングが承認される以前から活動を続けてきた女子ボクサーたちの長い歴史がある。日本ボクシング連盟の元女子委員長で自身もボクサーであった原千恵さん(63)は、1996年に全国から集まった20選手でスパーリング大会を開催し、女子の競技化を目指した。

 日本連盟で女子部が承認されたのが2002年。03年には全日本女子大会が開催され、12年ロンドンからは五輪の女子ボクシングが正式種目へ。お笑いコンビ「南海キャンディーズ」のしずちゃんが挑戦し話題になった。

 しかし、90年代のボクシング界で女子は異端の存在だった。ピアニストでもある原さんは、35歳の時に当時世界王者だった勇利アルバチャコフの試合を見て感動し、ボクシングを始めた。練習するうちにジムでスパーリングも行うようになったが、どれだけ頑張っても男子の中で女子は健康目的か“色物”としてしか見られない。

 そこで、反対意見もある中で1996年に大阪で「第1回全日本女子ボクシングスパーリング大会」を開催。女子選手20人が集結した。これが日本で初めて勝敗を決める女子の全国大会となった。

 当時、海外では女子ボクシングが競技として認められていたが、日本連盟は女子認可に反対意見が多かったため、原さんは国際ボクシング協会(AIBA)にメールを送るなどして掛け合った。01年に大阪で行われた東アジア大会でAIBA会長とも対面。同年にバンコクで開催された「第1回アジア女子選手権」に後にプロの世界王者となる多田悦子、教員の石垣多佳の派遣が実現し、2人は日本女子として初めて公式戦に出場した。これが、日本連盟の女子部設立へもつながった。

 たった20人のスパーリング大会から入江の金メダルまで25年。原さんは「当時は勝敗をつけるボクシングをしたいという同じ思いの人たちがたくさんいたから頑張れた」と振り返る。今年3月時点で日本連盟に登録されている女子選手は432人。「自由に競技がやりたいと思った時にやれる。選手が増えていくのはそれだけ競技に魅力があるから」と、築いた礎の上で活躍する後輩たちを見守っている。

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