村上茉愛が銅「これ以上ないできの3番」体操女子57年ぶり、個人初のメダル
「東京五輪・体操女子種目別床運動・決勝」(2日、有明体操競技場)
エースの村上茉愛(日体ク)が、悲願の銅メダルを獲得した。演技を終えて14・166の高得点で3位タイにつけた。続けて演技した2人が、村上の得点を下回り、銅メダルが確定。その瞬間、笑顔が弾けた。体操女子のメダルは1964年東京五輪団体総合の銅メダル以来57年ぶり、個人種目としては初の快挙となった。
「最後1分半頑張れば終わりだと思えば、辛いとかなかったので。自分で着地を狙いにいって3番だったので。これ以上ないぐらいのできでの3番だったので。これは自分で受け止めて満足したいなと思ってます」
右肘にはテーピングを巻かれていた。名前を呼ばれ、笑顔で手を挙げた。手拍子が起こる中、曲調の変わる音楽に乗る。148センチの体を大きく見せて、ゴムまりの様に高く弾み、笑顔を交えて楽しそうに舞う。着地も全て決めた。最後まで、村上らしい演技を貫いて、右手でガッツポーズを作った。
表彰台の感想を求められ「初めて世界選手権で金メダルをとったときも新鮮で、こんなにうれしいものなのかと思ったんですが、オリンピックと世界選手権って違うなって。これこそがオリンピックのメダリストって言ってもらえるものなのでもうちょっと(表彰台を)味わいたかったなと思いました」と振り返った。
7月27日の女子団体決勝。3種目目の段違い平行棒の離れ技の際に右ひじを負傷した。競技を終えて「自分が思っていたよりも痛かった」と話していた。それでも29日の個人総合では日本女子過去最高の5位。「種目別は着地まで狙っていきたい」と、メダルへの意欲を口にしていた。
女子のエース、東京五輪のメダル候補として重圧を背負い続けてきた一方で、度重なる故障に泣いてきた。19年は腰を痛め、五輪団体出場枠を盟友の寺本明日香(ミキハウス)らに託す形になった。
その寺本は昨年2月に左アキレス腱断裂。五輪代表選考会を兼ねた5月のNHK杯で奇跡の五輪切符を目指したが、3大会連続代表入りはならなかった。盟友の思いも背負っての大舞台だった。
「試合に来る前に電話して、気合を入れるような言葉じゃないんですけど普通の会話をして『頑張ってくるね』といって。明日香が喜ぶような演技ができたんじゃないかと思います」
村上は日体大在学時の2015年には世界選手権で個人総合6位。2016年に全日本選手権で個人総合初優勝を飾った。初出場となった、リオデジャネイロ五輪でもメダルを期待されたが、個人総合で14位、種目別の床運動で7位。悔し涙を流した。
「これ以上のできはできないってぐらいすごくいい試合ができたなって思うし。リオの床で悔しい思いをして、次のオリンピックでメダルを獲りたいって思ったので、その夢を叶えるために練習してきたので。それがかなうことができて本当に良かった」。
◆村上茉愛(むらかみ・まい)1996年8月5日、東京都出身。3歳で体操を始め、2010年の全日本中学選手権の個人総合で優勝。同年の全日本種目別の床運動では田中理恵らを抑えて優勝。13年の世界選手権で初の代表入り。16年リオ五輪では団体総合で日本48年ぶりの4位に貢献し、種目別床運動で7位。2017年の世界選手権床運動の世界一に輝いた。日体大クラブ所属。148センチ、48キロ。
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