十種競技・鈴木章介さん 64年オリンピアン感慨 忘れられない歓声 誇りを胸に行進

 64年東京五輪の赤ブレザーを着用し、閉会式での自身の写真を手にする鈴木章介さん=19年6月
 鈴木章介さんの十種競技・棒高跳びの跳躍フォーム=64年10月20日
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 1964年東京オリンピック。日本で初めて五輪が開催された57年前の開会式を経験したオリンピアンがいる。陸上男子十種競技代表の鈴木章介さん(84)だ。当時の思い出とともに、新型コロナウイルス禍で行われる五輪へ思いをはせた。

 57年前の開会式を、鈴木さんは今でも鮮明に覚えている。中でも脳裏に焼きついているのが、ブルーインパルスによる演出。東京の青空に5色の輪を描いたのは、故郷浜松の航空隊だった。

 「カラーがやっと出始めたかな、という頃でね。『浜松で訓練してすばらしい飛行をしたんだよ』って、周りの人に自慢げに話しました」

 入場行進では前から5、6列目あたりの観客席側に陣取ったという。最終聖火走者の坂井義則氏が国立競技場の階段を駆け上がり、ともしたシーンも忘れられない。「何と表現していいか分からないけど『オオーッ』という感じでしたね」。十種競技へのパワーももらった。

 荒川博氏や広岡達朗氏がオフに早大競走部の練習にきていたこと、自身の五輪出場経験がきっかけで、当時巨人の監督を務めていた川上哲治氏に誘われてコーチに就任。王貞治氏、長嶋茂雄氏、金田正一氏らの指導も手掛けた。「陸上や野球の最高の指導者やコーチ、選手の教えがあって、今の自分があると思っています」。五輪と野球-。何物にも代えられない宝物だ。

 あれから57年。開会式を見届け「まずは五輪ができたことに最大の喜びを感じます」と口にした。東京五輪に臨むアスリートへ「観客がいない中でどれだけ自分の力が出せるかが勝負。『これだけやってきたんだ』『これだけのことができる』という強い気持ちを持って戦ってほしい」とエールを送る。孫のような選手たちの活躍を、浜松から見守っている。(高橋伯弥)

 ◆鈴木章介(すずき・しょうすけ)1936年11月11日、浜松市出身。浜松商から早大に進み、大昭和製紙(現日本製紙)に入社。陸上男子十種競技代表として東京五輪に出場し、6838点で15位。プロ野球の荒川博氏や広岡達朗氏がシーズンオフに早大競走部のグラウンドに練習にきていたことがきっかけで、1965年から巨人のランニングコーチ(後にトレーニングコーチ)に就任し、79年まで在籍した。現在は浜松商の同窓会長を務める。妻・文子さんは1960年ローマ五輪陸上走り幅跳び代表。次男・望さんは元巨人、日本ハム選手。

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