新濱立也は涙の6位入賞「やり切った」客席では妻の吉田夕梨花が祈る様子も 4月に交通事故、苦難を乗り越える
「ミラノ・コルティナ五輪・スピードスケート男子500m」(14日、ミラノ・スピードスケート競技場)
2大会連続出場の新濱立也(29)=高崎健康福祉大職=が登場。34秒46でゴールし、両手をたたいて喜んだ。前回北京五輪では力を発揮できなかったが、6位入賞となった。
レース後は涙ぐむ様子もあり、「結果というより、この4年、いろんなことがあった。ここに立てたこと。レースを終えられたので、そこは良かった」と充実の表情。苦難を乗り越えて大舞台に立ち、「今シーズン、一番の体の状態に持ってこられた。4年間結果が出ず苦しんでいたが、結果は振るわなかったが、自分のやりたいことはやりきった」とうなずいた。
困難続きのシーズンだった。4月に沖縄・石垣島での合宿中に顔面を骨折する大けが。勝負の五輪シーズンに後れを取った。さらに、昨年の五輪代表選考会兼全日本選手権直前に今季使用してきたブレード(刃)が割れるアクシデントもあり「絶望的だった。つらくなかった時期はなかった」と振り返る。
支えてくれたのはカーリング女子ロコ・ソラーレの妻、吉田夕梨花だった。男子500mで2度目の五輪代表を確実にした昨年の全日本選手権も会場に駆けつけ「常に前向きにさせてくれる」という頼もしい存在。9月のカーリング五輪最終予選代表決定戦で敗れた吉田に「ミラノの舞台は託したよ」と言われていた。
北京五輪は20位だった500m。悔しい思いから4年。紆余(うよ)曲折を経てたどり着いた大舞台には妻の吉田夕梨花も応援に駆けつけ、客席で祈る様子もあった。
戦いは終わったが、レース直後に気持ちは次へ向いていた。「メダルに届かなかったが、4年後チャレンジしたい。明日から、次の4年間どう過ごすか。若手に食らいつくためにどこまで引き上げられるか考えたい」と表情を引き締めた。
◆新濱立也(しんはま・たつや)1996年7月11日、北海道別海町出身。釧路商高から高崎健康福祉大に進んだ。500メートルで19年に33秒79の日本記録を樹立。20年世界選手権スプリント部門で総合優勝を果たした。22年北京五輪は500メートルで20位、1000メートルは21位。
