【集中連載】オレが村田だ!(中)

 13歳の村田は金髪の少年だった。「群れるのは嫌いだった」。奈良・伏見中1年の3学期、担任教諭の北出忠徳(47)に視聴覚室に連れて行かれた。「髪を染め直せ」と注意され、「お前、何かやりたいことはないのか。ボクシングやらへんか」と勧められた。

 奈良工高のボクシング教室に通った。「行ったり、行かなくなったり」。だが、担任との約束は貫いた。「中3の4月から大阪・進光ジムで本格的に始めた」。26歳になった村田は「あの視聴覚室で『ボクシングやったるわい』ってエラそうなことを先生に言いました」と述懐。ロンドンから国際電話で恩師に金メダル報告もした。

 村田は南京都高で、もう一人の恩師と出会う。2年前に50歳で死去した同校ボクシング部監督の武元前川だ。村田は五輪決戦の入場前、天国の武元に「行ってきます」とつぶやいた。控室では背中に『武元軍団』と書かれたTシャツに手を合わせた。「可能性を否定しない教育をしてくれた」。日本人にはあり得ないと言われたミドル級の金メダル。武元の教えを胸に不可能を可能にした。

 妻子の存在も大きい。10年5月に結婚した妻・佳子(30)。村田は「僕はネガティブなところがあって『外国人には勝てへん』という気持ちがあった。かみさんはポジティブに、そう考えないように仕向けてくれた」。昨年5月には長男・晴道が誕生。村田は「晴れの天気みたいにおおらかに、人としての道を外すなよと。息子はボクシングをやらなくてもいい。自由に生きていって欲しい」と目を細める。

 盟友もいる。バンタム級銅メダリストの清水聡(26)。選手村で同室の清水に「負けてこい!」と送り出され、緊張がほぐれた。村田は「あいつに負けたくない気持ちで切磋琢磨(せっさたくま)できた」と明かす。

 恩師、妻子、盟友。「金メダルを持ってみると、すべてがつながっていると思います」。元金髪少年は出会いに感謝する。(つづく)=敬称略=

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