映画「洗骨」が大ヒット、照屋年之監督「やっとチャンスをいただいた」

お笑い芸人・ガレッジセールのゴリが、本名の照屋年之名義で監督・脚本を手がけた映画『洗骨』。実は10年前にも長編映画『南の島のフリムン』を撮っているが、(一部評論家から絶賛されたものの)興行的に振るわず、なかなか次の作品を手掛けることができなかった。それでも諦めることなく、自らも出資して自主映画を撮り続けてきた。あれから10年。映画監督・照屋年之の才能を、いよいよ日本中に知らしめるときがきた。

取材/ミルクマン斉藤

「絶対、これを映画にすべきですと」(照屋監督)

──実は僕、監督が撮った『南の島のフリムン』(2009年)が大好きなんです。その年のベスト10にも入れたと思うんですけど、あれがなぜ過小評価されているのかと(笑)。

ええ!? めっちゃうれしいっす! 初めてかもしれない、そんなこと言ってくれる人。知り合いに、「東京の劇場に観に行ったら、お客さん2人だった」と言われたときは泣きそうになったんですよ。せっかく一生懸命作ったのに、誰にも注目してもらえないんだって。いやぁ、報われた・・・この10年が報われました!

──先日、改めて観たんですが、やっぱりすごく面白いです。コメディとしてはもちろん、いろんな意味でも。だからテレビで芸人のゴリさんを見るたびに、なぜ次作を撮らないのかなと心待ちにしてたんですよ。

はぁ~、めっちゃうれしい。これまで撮れなかったのは、あれがコケたからです(苦笑)。ヒットしないと次が来ないシビアな世界じゃないですか。それでも撮りたいから、自分自身もお金出してずっと自主映画を撮ってたんですよ。そしたら、『沖縄国際映画祭』で『born、bone、墓音。』という短編映画で賞をいただいて。それでやっと、長編映画のチャンスをいただいたという。

──沖縄映画って、一時期ブームみたいになりましたよね。でも、リゾート映画になったり、あるいは基地問題とかのヘヴィな話になったり、どうしても本土の人間が撮るとそうなりがちで。また、沖縄の作家が撮っても、民俗的・伝承的なユニークさに傾く映画になる。でも、『南の島のフリムン』は違ったんです。例えば、豚の下ネタにしても、米軍基地や米国兵との関係にしても、沖縄県民以外にはなかなか撮りにくいようなあっけらかんさがありますよね。

いや~、ちょっと飲みに行きますか、取材止めて(笑)。

──そうしたいところですが(笑)。で、今回も「洗骨」という極めて特殊な習俗を扱ってられますよね。僕は1960年代に芸術家・岡本太郎さんが沖縄に行って、それを写真に撮られたことで勃発した「週刊朝日事件」くらいでしか知らなかったんですけど。しかし監督も、この長編の原型となった『born、bone、墓音。』の舞台が沖縄・粟国島に決まるまで、ご存じなかったらしいですね。

うちのかぁちゃんが亡くなったときも火葬ですし、沖縄もそれが当たり前で。それを教えてくれたプロデューサーに何回も訊きましたもん。「洗骨? へ? 燃やさない? このご時世ですよ? 平成ですよ? 法律に引っかからないんですか? 闇でやってる火葬方法ですか?」って。それで、「洗骨」を経験した島のおじぃおばぁに何人もインタビューして。

──実際にリサーチされたんですね、監督自身で。

いやぁ、こんなすごい風習が残ってるんだってびっくりして。昔は沖縄全部でやってたというんです。てことは、僕の祖先を辿れば、みんな「洗骨」を経験してるわけじゃないですか。実はすでに、粟国島で撮るドタバタコメディの脚本ができてたんです。でも「絶対、これを映画にすべきです。この脚本は捨てましょう!」ってイチから作り直して。最初は怖かったんですよ、ミイラにして骨を洗うなんて。でも、おじぃおばぁに話を聞くと、全然怖くなくて、亡くなった人への愛しかないんです。その愛の根底を前半で描ければ、「洗骨」シーンになったとき、骸骨さえも愛おしく思えるはずだと。

「あの現場のひりつきはスゴかったです」(照屋監督)

──その儀式の次第がかなり精密に描かれますよね。ともすればグロテスクとも受け取られないかな、という心配をものともせず。

実際の撮影でも、演者(キャスト)には本番まで骸骨を見せませんでしたね。リハーサルでも棺桶開けるところまで。本番では本物を見せますから、そりゃショッキングですよ。奥田(瑛二、妻の亡骸を洗う夫役)さんはクランクイン前から、「(妻の)恵美子の遺影の写真をくれ」と。役作りで心に恵美子を入れたいから、と。で、事前に(恵美子を演じる)筒井真理子さんの写真を渡して、役を作ってもらった上でラストに撮ったんで。

──順撮りだったんですか?

ほぼ順撮りです。棺を開けたときの表情とか、1度きりしか撮れないと思ったんで、あの現場のひりつきはスゴかったですよ。カメラマンも音声さんも現場がピーンとなって。「よーい、はい!」「じゃあ、開けるよ」と棺をガッと開けたとき、一瞬みんな固まるんですよ。「わっ! こうなってるんだ」って。だけど、奥田さんは、愛おしい妻の骸骨だから、棺桶に手を入れて触り出すわけですよね。そこはご自由に、と演出はしてなかったので。そして、取り出して撫でるわけです、骸骨を。

──劇中では丁寧に描かれていましたが、骨をひとつひとつ分解されるんですよね?

そうです。実際に「洗骨」を撮影されている一般の方がいて、自分たちの記録用に。その方をなんとか見つけて「本当にお願いします。できるだけリアルに表現したいので見せてください」と頼み込んで、スタッフ全員で共有させてもらって。美術さんにも「こういう風にリアルになるんで、骨をこういう風に作ってください」と。

──喪主というんですか、奥田さんが「頭骨」を洗われるんですが、そこにはまだ髪が残っていて。

4年以上経つと、肉は残らないんです。でも、髪の毛は全部残っていて、洗うとズルって落ちるんですって。ちょこっと骸骨に残ったりもするんですけど、本当にリアルに作って。色も火葬にしないと茶色っぽいというか、ああいう風になるんですよ。僕は棺を開けたときのみんなの緊張感が好きですね。身体に力が入るのが分かるんです。愛しい人の変わり果てた姿と、でもまたその人に会えたという、うれしさと悲しみとが。

──そこに恐怖はないですよね。

ないです、まったくないです。

──もちろんお芝居とは分かってるんですが、前半で死者への愛情と、家族のわだかまりが解けるまでを丁寧に描いておられるので、その「再会」の喜びが伝わってきます。でも、その妻が今棲む「あの世」に家族が踏みこんでいくシーンがたまらなく面白くて、衝撃的で。それをあえてオフビートで描かれています。

劇中の「あの世」の場所って、本当にあのまんまなんです。粟国島の人が実際に「ここから向こうはあの世」と考えてる場所を使ってて。僕なんかは映画的・演出的に、急に草が生い茂って、太陽の光が入ってこない洞窟のような道がいいな、と思ったんですけど・・・。「あの世と、この世の境の線はどこですか?」「だいたいここです」って言われて。「だいたいここ?」「はい、だから電線とかもなんも無いでしょ?」って。「じゃぁ、怖くてみんな行かないんですか?」「いや、全然通り道」だって(笑)。だから、「あの世」と「この世」の境が重くないんですよね、島民としゃべってると。

──そういう「ハレ」と「ケ」が連続してるという考え方って、昔の日本では当たり前だったんだなと思わせるんですよ。

僕たちは勝手に、「あの世」って怖いもんだとか、遠いもんだとか思ってますけど、なんか粟国島にいると、「あの世」と「この世」が隣同士にあるような気がしたんですよ、生と死が。だから、亮司(鈴木Q太郎)が「もうあの世なの? そんな感じしないんだけど」って言ったら信子(大島蓉子)が「そんなんだよ、あの世って」と答える、あの一言が好きで。

──沖縄といえば「あの世」と「この世」がずっと近しい場所というイメージは確かにあります。でも、沖縄の信仰施設「御嶽(うたき)」とか、聖なるところは平凡な場所じゃないという固定観念もある。この場合は違うんですね。

違うんですよ。ウソでも物々しいところに入っていく方が良くないですかと言うスタッフもいたし、悩みました。でも、例えば映画『ゴッドファーザー』でアル・パチーノが入っていくコルシカ島(イタリア)のレストランがまだ残っているとなったら、僕は行ってみたくなるタイプで。(家族にとって大切な役割である)ブランコも実際にありますし。この映画を好きになってくれた人のために、できるだけ本当の場所が使いたいと。

「芝居が上手い、に尽きますよね」(照屋監督)

──今回の映画って、前回のようなコメディではないにしても、どんなにシリアスなシーンでも徹底的にオチをつけるというか、笑いで締めるのがなんといっても素晴らしいですよね。

僕が12年間撮ってきた映画を見直すと、やっぱり前半はボケの羅列なんですよね。やはり「笑い」をやってきた分、笑いを入れたくなる。その結果、物語の起承転結を弱めてたんです。でも、脚本の書き方も徐々に磨かれてきて、今はちょうど良いバランスになってきた。人生の半分以上、お笑いの世界にいるので、そのテクニックは取り入れつつ、ちょうどよく配合できたと思うんです。カフェオレのように。

──カフェオレというと、これまでの作品は沖縄の俳優さんをメインに使われていますよね。でも、今回の主軸となる一家は全員沖縄の方じゃない。ま、かといってなんの違和感もないし、とりわけ大島蓉子さんなんか違和感ゼロなんですけど(笑)、そこは何か意図されたのですか?

基本的に、「芝居が上手い」に尽きますよね。沖縄にも器用な役者さんはいるんですが、僕のなかでこの役は・・・と思ったとき、やっぱり奥田さんや水崎さんに気持ちが行きました。かといって、僕もこれはスゴく悩む部分で、大阪を舞台にした映画で大阪以外の人を使ってるときもあるじゃないですか。でも、大阪の人からすると「その大阪弁、うぅぅぅ、首痒くなる」みたいになりません?

──関西人は特にそのアレルギーが強いです(笑)。

それも怖かったんですよ。でも、沖縄の人から「あの訛り、変だよ」というクレームは一切ないです。筒井道隆さんなんて休み時間もずっとテープレコーダーを耳に当てて、沖縄の人が吹き込んだ訛りを聞いているんですよ、音楽のメロディを覚えるように。そこは各々で役作りしてもらったのでありがたかったですね。水崎さんはお腹を付けたままプライベートも過ごしてもらったり、全部ありがたいです。

──メインキャラクターを演じるみなさんが演技巧者なのは自明なんですけど、そこにいきなり、水崎の彼氏としてハイキングウォーキングの鈴木Q太郎さんが闖入(ちんにゅう)して来るとは(笑)。

え、お前? って(笑)。島にやって来る前の水崎さんのセリフでは、男前のイメージがありますからね、はっはっは(笑)。

──それも鈍感力の権化のような男を絶品で。でも沖縄に住んではいない、その土地の習俗を知らない大多数の観客の代弁役でもあるという。

お客さんに伝えなくてはいけない代表的な役割が必要だったので。Q太郎が演じた神山亮司というのは、実は結構重要な役なんですよ。

──さらにひときわ大きな役割が、大島蓉子さん演じる信子伯母さんですよね。あの一家にとってだんだん重要度が増していくんですが、特に儀式の後に、あれだけの大スペクタクルを指示する役割になるとは。

女性が動けるとスムーズに進んでしまうので。やっぱり足枷を作ろうと思ったときに、ぎっくり腰が思い浮かんだんですよね。どこかで怪我させるとかいろいろ考えたんですけど、いや、これはぎっくり腰の方が笑って泣けるだろうなと。しかも、アザラシのように寝て欲しかったんで、絶対に手を動かさないでくださいって(笑)。

──修羅場なのに笑えるって(笑)。しかも、映画全体のテーマである「命を繋ぐっていうのはこういうことなんだよ」という言葉に繋がっていく美しさがあります。繋ぐというと、水崎さんの大きくなったお腹に、大島さんが「ちょっと借りるよ」と椿油を塗るシーンがありますね。その時点では「何を借りた」のか僕らは分からないわけですが、後に出てくる儀式の場において、キレイになった頭骨に最後に化粧するのが椿油だという。生と死の連環、また丸みを示す形状の連環に繋がって、また美しさが増すわけですよね。

脚本書いていて、楽しいところってそういうところなんですよ。最初は雑に流れで書くじゃないですか?どうしようかなぁって悩んで、こことここを繋げてみようかなとか、このところ事前に伏線やっておいた方がいいかなとか考えて。それがどんどん出来てくると面白いんですよ。

「母ちゃんのおかげで書けた脚本」(照屋監督)

──それにしても、「洗骨」というタイトル自体、意欲的で挑戦的ですよね。本質ではあるにしても、「骨を洗う」ってイメージだけだと、結構おどろおどろしいものを感じる人も多いでしょう。

洗骨をリアルに描くのならドキュメントには勝てないと、事前にプロデューサーに言われたんです。もちろん、短編をそのまま膨らませる気もなく、ゼロから作り直そうと悩んだとき、うちの母ちゃんが亡くなって。うちはみんな母ちゃんが好きで、その存在はすごく大きかった。で、母ちゃんがいることでギリギリ保たれてた家族がバラバラになって、でも母ちゃんの亡骸を洗うことでまたくっつく・・・という大枠が最初に生まれたんですね。そこからそれぞれの確執だったり、人間設定を作って・・・という感じでしたね。

──じゃあ監督の、お母さんが亡くなったときの想いも多分に含まれているわけですね。

その通夜は2日間あったので48時間、僕は母ちゃんの横でずっと寝てたんですけど、夜中に2時間おきに線香を付けるために起きて顔を見るじゃないですか。で、まじまじと顔を見て、この人のおかげで今自分がいるんだなぁと。生と死って繰り返されるし、近いものだなと思ったときに、最後の画が浮かんだのかもしれないです。

──あの、あまりにも美しい、生と死が対面する決まりの画ですね?

あれを撮りたいと思ったんですよ。改めて母ちゃんのことを思い出したときに、この母ちゃんがいるのは、産んでくれたばあちゃんがいる。ばあちゃんがいるのは・・・と、命のリレーみたいなものを考えて。何万年前の遠くの先祖が頑張って生き抜いてきてくれたからこそ、自分がいるんだと思ったら、それがすごくありがたくて、長くひとつに繋がった身体に感じれたんですね。そうしたらラストの剛(筒井道隆)のナレーションみたいな考えがワーッと浮かんで。ですから、本当に母ちゃんのおかげで書けた脚本なんですよね。

──そういう命の繋がりでいいますと、僕は今まで監督を「ゴリ」さんと認識していたわけですけれど、今回の映画で本名が「照屋年之」だと。で、「照屋さん?」と思って初めて調べたんですが(沖縄エンタテインメント界の草分けで重鎮である)照屋林助さんの縁戚さんなんですね!

遠い親戚です。別に正月とかに集まるじゃないんですけど、辿ると親戚みたいですね。僕も全然知らなかったです。

──じゃあ(林助の息子で「りんけんバンド」で沖縄ポップを開拓した)林賢さんも?

林賢さんはよく会います。よく飲んだりとかもしますし。でも、僕も中学高校くらいまで知らなくて、僕の親父にりんけんバンドのライブのときに楽屋に連れて行かれて。「お前遠い親戚だよ」って言われて。あれ~そうなのって。小さいころに見ていたオリオンビールのCMの人たちが親戚なんて。「照屋林」一族なんだと。僕は三男なんで付けてもらえなかったんですけど、長男の名前の頭には林がつきます。林一族なんです。苗字の下に名前頭というのがある、まぁ歴史が古いというか。

──僕もりんけんバンドやネーネーズを聴いてましたし。そういえば今回のキャメラマンでもある今井孝博さんも・・・。

ああ、そうです。今井さんの長編デビューは『南の島のフリムン』なんです。

──昨日改めて観て気づきました。今や行定勲組や白石和彌組の常連キャメラマンですね。

お互い同じときにスタートを切って、それでまた10年後に長編で会えたことが感慨深いって、クランクアップのときに話しました。子どもたちが全員でお母さんの骨を洗ったあとに拭いて、白いシーツに並べるところを俯瞰で捉える画があるじゃないですか。あれ、僕の大好きなシーンなんですけど、あれ、今井さんがすごく凝ってたんですよ。準備にもすごく時間かけてて。そしたらお見事なシーンになってました。

──あそこまで丁寧に、細かな骨まで綺麗にして全部の骨を並べるという驚き。そしたら全部の骨が骨壺に入るんですね。火葬だと「ここ喉の骨です」とか言われるがまま、いくつかのパーツを拾うだけですものね。

あんだけ場所場所に骨を分けると、デアゴスティーニみたいで。そのまま組み立てられるんじゃねぇかって(笑)。

(Lmaga.jp)

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