俳優・大東駿介「不倫よりよっぽどオモロイですよ」

テレビ・映画など映像作品への出演にとどまらず、大劇場から客席100席にも満たない小劇場まで、また演劇のジャンルでも様々な規模の舞台に積極的に出演し、その都度鮮烈な印象をステージ上に残している俳優・大東駿介。そんな彼の次回作は、映画『スリー・ビルボード』で一躍知名度を上げたマーティン・マクドナー監督の脚本作品『ハングマン』。イギリスの田舎町のパブに突然やってきて、退屈だけど平和な日常をかき乱す都会の青年・ムーニーを演じる大東に話を訊いた。

取材・文/吉永美和子

「『プルートゥ』との出会いは大きかった」(大東駿介)

──今年最初の舞台は、手塚治虫原作・浦沢直樹作画の漫画を舞台化した『プルートゥ』でした。そのなかで、大東さんが演じた刑事ロボット・ゲジヒトは「大東駿介に何が起こったんだ?」と思うぐらい、中年の哀愁感がすごくて驚かされました。

そう、結構いろいろ変化があったんですよ。僕は、役者って「監督や演出家にどう応えられるかということを提示する」のが仕事やと思ってたんです。でも30歳を超えた頃から、「想像を具現化すること」が俳優の仕事じゃないか? と思い始めて。僕は子どもの頃から一人遊びが好きだったこともあって、想像力を働かせるのが得意だし、いろんなことに興味を持てる。これは自分が人よりも誇れる、唯一の特別な部分。では「具現化」はどこまでできるのか? と考えていたときに、この舞台の話が来たんです。

──あの舞台は、ダンサーの身体の動きだけで風景を表現するなど、かなり想像力を試されるような演出でした。そういう意味では最高のタイミングでしたね。

しかも、森山未來くんをはじめ、しっかりしたダンスの背景を持ってる俳優ばかりが出ていたので、すごく刺激的でした。彼らは自分の内側で起こってる想像や発見を、外側で・・・身体で表現して、それを人に伝えるというのを、呼吸するかのように当たり前にやってたんです。じゃあ、そういう一芸のない僕は何ができるんだろう? と考えたときに、逆に「人間でいられるな」と。ダンサーたちの完全な身体のなかに、汚らしい身体の人がいたら、とても生々しく映るんじゃないかと思ったんですね。なので中年の身体になれるだけなってみようと、筋肉と脂肪をつけて、お腹も結構たるませました。

──それは成功していたと思います。

菅原小春(世界的ダンサー)にも「あのお腹が一番美しかった」とまで言われました(笑)。外側の一芸って、目に見えるから人に評価されやすいけど、内側って良いも悪いも見えないじゃないですか? 一芸がなくても、心のなかにとんでもない想像力を抱えている化け物みたいな奴だっていてるはずやし。俳優ってすごく曖昧な仕事だけど、頭のなかのまだ誰も見たことがない何かを、世に生み出すことに意義があるんだろうと。そうやって腹を決めることができた点で、『プルートゥ』との出会いは大きかったです。

「不倫より、想像が広がるものに興味を惹かれたい」(大東駿介)

──その腹を決めた直後の舞台が、この『ハングマン』ですね。英国初演の舞台を映像で観たんですけど、田舎のパブならではの閉鎖的な空気感と人間関係が、想像を超えた事態をどんどん引き起こしていくという、とてつもなくアナーキーな笑いに満ちた作品でした。

ですよね。『スリー・ビルボード』もそうやったけど、物語や人物の構造はすごくシンプルなんですよ。でも裏に潜んでいる「何か気持ち悪い」って思うモノに対して、観る側が勝手に想像を広げて楽しむことができるという点が、マクドナーのおもしろい所だと思います。日本版の台本も、これがまたメチャクチャ面白い。だからみんなが自然と「この本を大事に扱おう」という気持ちになれて、あれこれディスカッションしながら作っていきました。

──そのなかで、大東さんの提案が生かされた部分はあるんですか?

この本では、僕が演じるムーニーと、パブの人たちの訛(なま)りが違うのが重要なポイントなんですよ。都会と田舎の格差や差別意識が見えてきたりするから、それが笑いの種になったり。その言葉の違いを、日本語でどう表現するか? という所で、僕のアイディアを採用してもらえました。そういう意味では「戯曲が生まれる瞬間」に、初めて立ち会わせてもらった気分です。先日(埼玉で)2日間上演して、「まだまだおもしろくなる」という実感を得られたし、この舞台を今の日本でやる意味や、日本人にどういうモノが届くんだろう? と稽古場で考えていたことが、さらに明確になったと思います。

──本作は、元・死刑執行人で現在はパブを経営する主人公を巡る物語。大東さんは、彼が以前関わった事件の真犯人かもしれないと匂わせる、謎めいた青年役です。

ムーニーの背景については、翻訳台本を手がけた小川絵梨子さんと、演出の長塚圭史さんの間でも、見解がまったく違っていたんですよ。誰よりもこの本を読み込んでいる2人ですら、その核を正確につかみ切れないキャラクターなんです。この役を演じる上で圭史さんと話したのは「確信のない脅威こそが、一番怖いんじゃないか?」ということでした。暴力的な言葉を暴力的に向ければ、明らかな脅威になるけど、それではムーニーじゃない。彼は、例えば僕がこうしてお話している最中に、相手の目を見て「(それまでとまったく同じ口調で)しょうもない時間ですね」って、急に言い出すような奴です。

──ああ、確かに今「あれ、この人もしかしてヤバイ人?」って、一瞬怖さを感じました。

もちろん本当は、そんなこと考えてないですよ!(笑)でもその内側の怖さが外側に見えない・・・というか、本当は怖いのかどうかもわからない曖昧な存在に対して、人は一番脅威を覚えるんじゃないかと思うんです。僕はムーニーを演じながら、北朝鮮を重ねてしまいましたね。確信のない武力で、確信のない脅威をみんなに与えているという所で。もしかしたらマクドナーも、そういう世界情勢の縮図みたいなものを、裏の意図として書いてたのかもしれないです。

──でも同時に、主人公の娘を惹きつける魅力もあるし、本当に善悪がわからないんですよね。観た人によって解釈が大きく分かれる、本当に興味深い役だと思います。

そうそう、誰にもとらえられない。やっぱり今って、難しい時代やなあと思うんですよ。答えの出せないようなものに、いい加減に具体的な答えを出そうとするという。政治家や有名人が「良い」って言うから良くて、「悪い」って言うから悪いの? たとえば不倫問題を一斉に叩くけど、それって「悪い」って言った人にはわからない事情が、裏にあるんじゃないの? って。何かそういう「いい加減に具体的な答え」によって、想像するということがどんどん狭められていってる気がするし、変な時代だと思います。不倫なんかよりも、もっと具体的な答えが出せない、想像が広がるものに興味を惹かれたいですよね。恐竜とか宇宙の話の方が、よっぽどオモロイですよ!(笑)

──それが先ほど言われた「この舞台を今の日本でやる意味」なのかもしれないですね。

僕は勝手にそう思ってます。「これにも具体的な答え、出せますか?」って。ムーニーが本当はどんな男なのかという答えは、本当に人によって違うだろうし、しかもそれは全部正解だと僕は思うんです。答えってやっぱり、自分のなかだけでいい気がするんですよね。周りの評価はともかく、自分自身はその物事をどうキャッチして、どう感じるか? ということを僕は常に意識しているし、逆に自分と違う意見の人がいても否定しない。それが感性であり、個性やから。この舞台を観ることで、そういう原点みたいな所に戻ってもらえたらいいなあと思います。

舞台『ハングマン』京都公演は、6月15日~17日に「ロームシアター京都 サウスホール」(京都市左京区)にて。チケットは一般7500円、25歳以下5500円で現在発売中。

(Lmaga.jp)

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