白石和彌監督「共感する映画を見て、なにが楽しい?」

嫌な女・十和子(蒼井優)、下劣な男・陣治(阿部サダヲ)、ゲスな男・水島(松坂桃李)、クズすぎる男・黒崎(竹野内豊)。共感できない人物しか登場しないのに、なぜか愛おしい。イヤミスの女王・沼田まほかる原作の映画『彼女がその名を知らない鳥たち』。メガホンをとったのは、『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』の白石和彌監督。その最新作について、映画評論家・ミルクマン斉藤が直撃しました(映画をご覧になってからぜひお読みください)。

取材・文/ミルクマン斉藤 写真/本郷淳三

「共感するものを観て何が楽しいんだ」(白石監督)

──今回の作品、惹句では「共感度ゼロ」って謳われてますけど、僕はもともと映画に共感する必要など全くないと思っている人間なんで、まったくもって上等じゃないかと(笑)。今までの作品を観るに、白石監督もそうなんじゃないですか?

共感するものを観て何が楽しいんだ、と思いますよね(笑)。

──その通りで、つまりは非常にまっとうな日本映画だなと思いました。まず沼田まほかるさんの原作というのがあるわけですが、映画を観るかぎり谷崎(潤一郎)をものすごく想起させて。

あぁ、なるほど。

──これは『春琴抄』であり『痴人の愛』ではないかと。西欧風にはっきりと役割分担できないサディストとマゾヒストの、運命の愛の話ではないかと。

うん、言ってみればそうですね。(原作の出版社である)「幻冬舎」に小玉圭太さんという方がいて、その方がたまたま北海道の旭川の高校の遙かなる先輩なんですよ。で、小玉さんが『凶悪』を観てくれて、「俺の後輩に映画監督がいるのか」と。何回か飯食ってるうちに「今、幻冬舎で俺が個人的に映画にしたいと思っている原作がこれだけあるから、はい、読んでね、読んでね」と。何冊か渡されたうちの1冊がこれだったんですよね。

──監督は撮るにあたって、阿部サダヲさん演じる陣治に感情移入した、といった発言をネットで見たのですが。

やっぱりありましたね。まぁ、籍を入れている・入れていないに関わらず、一緒に暮らしているパートナーがいる場合、喧嘩したときに追い出されたりするのはだいたい男だったりするじゃないですか? はっきり言って陣治が十和子を食べさせてあげてる体だけど、でも立場上は弱いですよね。僕も映画監督になり始めたときは、特に仕事も収入もそんなに無くて「早く稼いできて」みたいなこと言われたし(笑)。その感覚わかるな、というのはたくさんあったから、やはり陣治に気持ちが入ったんでしょうね。

──阿部さんが演じられているというのが、陣治らしさを増してますよね。僕も前にインタビューさせてもらったことがあるけれども、すごく真面目でシャイで、でもサービス精神旺盛な方じゃないですか。食事の前に奥歯の差し歯をいちいち抜くという発想(笑)、あれはスゴいですね。

あははは、僕のアイデアです。一応、設定としては「食べてる間にうっかり飲み込んじゃうから外している」なんですよ。治せよそれ、って言う話なんですけど(笑)。

──あれが繰り返しギャグのように効いてきて、陣治という妙なキャラクターを形成していくのが面白いですね。最初は「いったい何をしているんだ?」って感じなんですが。

ああいうことは思いついちゃうんだよな、いろいろと。陣治の汚さの描写についてはいくらでもアイデアが出ましたね(笑)。僕の映画ってヘンなやつしか基本出てこない。というか、普通の役でも何かしら作りたくなるんですよね。だから今回も、十和子のお姉ちゃん(赤澤ムック)とか別に普通の人でいいのに、実はこいつも旦那に浮気されて家庭が行き詰まっている、みたいな設定をより生かしたくなるんです。

──でも、「NPO法人 シングルマザーを支援する会」でセミナーしたりして(笑)。ある意味、一番めんどくさい奴っていう。

「ちゃんとして!」って妹に言うわりには、「お前もでしょ!」と返したくなってくる。(今年7月に舞台上の事故で)亡くなった俳優・中嶋しゅうさんが演った國枝というお爺さんも、原作では現代には出てこないんですよ。でも生きている可能性はあるなら出したらいいんじゃないか、って。ただ、「あんな酷いことをしといて、五体満足では出さんぞ」と言って、脳梗塞で半身不随みたいな感じにしたりとか・・・なんかやっぱりポイント作るのはあるかもしれないですね。

──中嶋しゅうさんは強烈でしたね。この物語のなかでもかなり異様な。

強烈ですよね。いったい何のフィクサーなんだ、っていう(笑)。何で稼いでるの?って。

「今のお客さんにはキツいだろうなと」(白石監督)

──その國枝に何故かヘイコラする黒崎(竹野内豊)も、突発的に暴力的になるのが恐ろしい。

たぶん真面目で、でもテンパりやすいんでしょうね。単純に言うと。それに十和子のことは好きだけど、自分のことが一番であるという。それにしても、あそこで暴力にいけるのかなってことに多少の疑問はあったんです。で、「別れようと思う」って車のなかで喋ってるときに、外でなぜか喧嘩してるサラリーマンと学生、というのを設定して。人の喧嘩って、街でやっててもイラつくじゃないですか。そういう感じとかがあると殴りやすいかなと思って、前日に思いついて急遽用意してもらったんですけどね。

──うん、向上心が強いくせに自分のやっていることにイマイチ自信がなくて。上からのプレッシャーには逆らえないし。

向上心が強いのは間違いないと思うんですよ。でも基本、やることが上手くいってないんでしょうね(笑)。

──何をやってもダメ、という感じはしますね。だから、飄々としたところがある竹野内さんみたいな方が演られると、あんな暴力的な行動に出てもなぜか笑えるっていう。基本この映画、僕はコメディ映画的に観たんですよ。

そうなんです。滑稽だと思います。僕も笑えるところがいっぱいあると思ってて。

──十和子というキャラクターにしたってクレイマーだし。昔、黒崎とハメ撮りしたビデオを観てる、ってところも可笑しくて。

どこまでお前ダメなんだよ、って(笑)。あんな暴力受けた後にリベンジポルノの映像を心の拠り所にしているって、本当、酷い話ですよね。でも、十分あり得ると思います。

──なのに陣治に依存している。陣治も依存されて喜んでるっていうところが、またマゾヒスト的で。

でも不思議なのは、十和子が重大な局面を迎えてから、この生活というのは始まってるわけじゃないですか。だからこそ濃密な関係になったんだろうなというのはあるんですけど。そこに至るまではギャグみたいな話で、「お前、もうちょっと早く気づけよ」って思うし(笑)。それに、これはもう取り返しのつかない話。本当に十和子なんて陣治がああなってからやっと気づく。

──いや、このあと十和子は大変だろうと思うんですけども。

どこまで愚かな女なんだろうと思いますね。解決しているようで、実際何も解決してないじゃないですか。そんな感じも余韻に繋がるのかなと。

──核心というか、結末に近い話になりますが。原作に則ってはいるんですけど、確かに「ほっぽりだした感」がかなりあるんですよねぇ。

ラストは若干、あれでいいのかな?と思ったんですけど、何回か読んで「これしかないんだろうな」と腹をくくれたところもあります。陣治がふたりの関係を完結させるためにはああいうことをしないと。スッと終わらせる方法論もあったんですけれど、たぶん今のお客さんにはキツいだろうなと。それで十和子との思い出が走馬燈のように2人の頭のなかによぎるという方法を思いついて、これだったらある程度のお客さんに納得してもらえるかなという計算はありました。

──原作は、ある種ミステリー的なフォルムを持っていますけど、まあ、本としては時系列で語って充分成立しますよね。でも、ああいう風に順列を変えた叙述のほうがむしろ・・・。

映画としては正解だったのかなと思いますけど。

──脚本の摺り合わせはどういう風にされたんですか? (脚本を担当した)浅野妙子さん(テレビドラマ『ラブジェネレーション』『ラスト・フレンズ』など)とは初めてですよね?

初めてです。僕は共同脚本としてやるときも、脚本に名前が載ってないときも、わりと顔を突きつけ合う時間を取るんですが、今回はそれができなくて。でもベテランの方なので、言ったことはちゃんと網羅してきてくれるのと、筆が速かったので何度もできたというのはありました。

──正直、白石色が強くて。最後のクレジットを見て「あ、浅野さんなんだ」とちょっと驚いたくらいで。

撮影が迫ってから撮影場所の都合などもあって、だいぶ書き換えたりしちゃったというのはありますけどね。

──それに正直、沼田まほかるさんの小説ってやっぱり、あの年代の方が書かれたものだと思うんです。2000年代に入ってからデビューされたんで、もっと若い作家という印象があったのですが(原作者は1948年大阪生まれ)。

原作には、陣治の幼少の頃の思い出っていうのが出てくるんですけれども、倒れて死んだ牛を見たとか、沢蟹がどうしたとか、ふやけたうどんを食べたとか、バナナが高かったとか、とにかく時代感を凄く古くしている。戦後すぐとか、もしかしたら戦前?みたいなそんな印象を受ける。もちろん狙いをもってあえてそうしてると思うんですが。

──(吉高由里子主演で映画化された)『ユリゴコロ』とかもそうなんですけど、とても十何年前の話には思えないんですよね。それは彼女の世界が好きな人には全然OKなんだろうけど、僕はどうしても引っかかるんですよね(笑)。そんな部分が映画にはまったく出てこなかった。賢明だと思いました。

ええ、フラットにはしましたね。

「最初カットされてたんですが戻しました」(白石監督)

──十和子役の蒼井優さんはやはり素晴らしかったんですけれども、どうでしたか?

いやぁ、素晴らしいいですよ、やっぱり。表情の作り方からなにから自分の見せ方を本当にわかっているんだけど、コントロールできない部分もちゃんと持っているんですよね。女優としてどうしようもなくなっちゃうときが。それは使い分けじゃないんでしょうけど、スイッチが入ったときの発動がまたスゴい。

──それは撮影中に突然、監督の計算の外で発動されるんですか?

たぶん、元々は憑依タイプというか。「よーい、スタート!」と演技に入ったら本当に記憶なくすような・・・。あとで「私、役を演っていたかもしれない」くらいになるタイプだったと思うんです。でも、経験とか頭の良さでそこはちゃんとコントロールしていて、実際そうもできているんですけれど、ここ一番というときに計算外の部分が発動するんですよね。彼女は「そんなことないですよ」って言うかもしれないけど、そういう印象を受けますね。

──映画『オーバー・フェンス』(2016年)で蒼井さんと組まれた山下敦弘監督も似たことをおっしゃってましたね。でも今回、一番笑わせてくれるのは水島を演じる松坂桃李くんですよ。同じ沼田まほかる原作の『ユリゴコロ』でも主役ですけど、こっちはもう最高ですね。

うん、最高です。

──原作にもあったけど、セックスのときに「アーって言ってみて」って口を大きく開けさせるところ。ああいうのに拘るのがいかにも白石さんらしいな、と(笑)。

それはこだわりますよ~(笑)。最初の脚本ではカットされてたんですが、すぐに戻しました(笑)。

──あれ、男からすればわかる・・・というか、僕は少なくともわかるんですけども(笑)、滅茶苦茶オカシいですよね。

女性からすれば「何がいいの、それの?」っていう(笑)。アベノ地下街で(水島が探してプレゼントしてくれた)時計がたった3000円の安物だったって気づいたとき、普通はそこで「終了」なワケですよ。時計屋の同僚の女と飯食ってるときに、「オーロラを見るとさ・・・」とか言ってる声も聞こえる。お前、どこまでもしょうもねぇなって(笑)。十和子だってさすがに、「この人、ないかも」って思ったはずなのに、そのあとすぐ大阪城(を望む淀川べりの公園で・・・)ですからね(笑)。

──いやホント、あのシーン、よく撮りましたねぇ(斉藤註:ご覧になった方はわかるはずだが、具体的にはあえてここには書かない)。

全編、大阪でやるとなって「はい、通天閣」とかなっちゃうのが嫌で、なるべく大阪に見えないところで撮ろう、とロケハンしていったんですけども、どこか1カ所だけ、これぞ大阪とわかるところにしようと思って。それがたまたまあそこだった(笑)。舞台挨拶で大阪のみなさんに謝っておきました。「すいませんでした」って(爆)。

──よりによって、あんなに人通りの多いところで(笑)。

歩道側には暗幕をバーッと立てて。実は、横に歩道橋があるんですけど通行止めして。川に船が見えるでしょ? あれもわざわざチャーターしたんですよ。そうでもしないとすぐにツイッターに書かれて、Yahoo!ニュースになっちゃう(笑)。

──いや~おかしいですねえ、そのこだわり(笑)。最後、松坂さんが刺されたときの情けないリアクションも、ホンマしょうもなくって(笑)。

さすがに水島のその後のことを考えたら刺すのは1発だけかな、と思ってたんだけど、蒼井さんは「十和子のことを考えたら、もう2発くらい刺したいです」って。じゃぁいいや、もう2発くらい刺しといて、って(笑)。

──あはは。ベッドで「タッキリマカン」の話をしていると砂が降ってくるのにドキリとさせられますが。十和子の心象描写として、なんかいじらしくて。

しゃべってるのは全部嘘っぱちのくせにね(笑)。たぶん十和子は、水島がしゃべっていることを肉感的にしたかったんでしょうね。触感としても確認したかったとか、そんな感じを視覚的にしたいなと。あと、過去の黒崎が最初に登場するとき、すっぱり回想シーンに移るのはなんか気持ち悪かった。現在から過去へ十和子が歩いて行くってイメージがあったので、十和子の背後の壁を倒して過去に繋げたんです。

「日本映画の匂いが入れられるといいかなと」(白石監督)

──あのシーンがあるから、黒崎のシーンが過去という感じが全体的にしない。もちろん十和子の中で黒崎は過去になってない、まだ未だに現在なわけなので。その地続きな感じがあの歌舞伎的というかテント芝居的というか、あの屋台崩しで出たような気がしますね。

陣治とのときは、乗客がいるのに電車でふたりっきりにさせたりとか。それぞれちょっとずつギミックを入れたほうが、十和子の混乱した世界観が見やすくなるんじゃないかと思って。

──十和子の狂気みたいなのが発動したときには、画面に縦のオレンジの筋を入れてみたり。

最近はあまりないけれど、ATG(アート・シアター・ギルド)とか、あの頃の映画で僕たちは育っているので、そういう日本映画の匂いが少しでも入れられるといいかな、と。

──ラストの高台のベンチのシーンですが、わざわざ「夕陽ヶ丘」って標識を出すじゃないですか。原作では場所が明記されてませんけど、夕陽丘に設定したのは何か意味がありますか?

水島が刺される階段のところは夕陽丘、寺町のラブホテル街なんです。原作に「寺とラブホテルが混在している街」とあって、そういうの本当にあるのって訊いたら「あります」と。で、原作はその高台を上っていったところにベンチがあるってことなんだけど、それは無いと。それで、神戸にいい場所があったのでそこで撮ったんです。あれに大阪市街をCGで入れ込もうかなとも思ったんですが、薄暮から日没間近まで撮って。それ自体は上手くいったので、あんまりいじりすぎてもどうかな、と。

──川島雄三監督作品に『貸間あり』(井伏鱒二原作)って映画があるじゃないですか? あの舞台が夕陽丘の高台にある摩訶不思議な間借り住宅なんです。ラスト、通天閣が望めるその高台から桂小金治が、眼下に向けて小便して終わるんですよ。だから、あれを意識されたのかなと思って。

いやいや、そこまでは考えが及んでいませんでした。当時は崖だったんでしょうね。でも今は多少そんな感じになっているくらいで。もしかしたら、まほかるさんは見てるのかも知れないですね。

──そのラストにも関わるタイトルなんですけど、原作を読んでもいまひとつ意味がわからない。あれこれ想像はできるのですが。

僕らもこの本を映像にするなら、まずそれを謎解きしてからやりなさい、と言われてる感じがしたので、どうしたもんかと悩みました。で、まず思ったのは、この2人はたぶんどこにも行けない男女だから、一緒に暮らしているマンションは鳥籠なんだな、と思ったんです。でも、映画を作りはじめると、「鳥」っていうのは特に十和子にとっての愛の象徴なんじゃないか、と。そう思ったとき、原作の最後では鳥が数羽飛んでいる、という風になっていたんですけれど、可能な限り多くの鳥を飛ばした方が効くんじゃないかって。あれは高槻の椋鳥なんですけれど。だから、「彼女が知らない鳥たち」っていうのは十和子が知らない陣治の愛、であると。

──「鳥たち」と複数になっているから、それは十和子の黒崎への愛だったり、水島への愛だったり、もちろん陣治への愛だったりするのかな、とも思ったのですが。

それは僕は考えなかった。陣治の十和子に対する愛が、単純に複数なんであるという風に解釈しました。それが一番シンプルで腑に落ちるかなと思ったので。

──最後の陣治のポーズも、まさに鳥を思わせますね。

まほかるさんは仏教の僧侶だから、原作は座ったままコトッ、て感じなんですけれども。ただ、阿部サダヲさんもこうやって落ちたいって言うし、そりゃそうだよね、と。でもね、キリスト教系の人がこれを観て、「陣治はキリストである」と。

──ほほぉ~、それは面白い。確かにポーズ的にも。

倒れ方もそうだし、愛の与え方がそうだと。キリストこそが全ての愛を与えてくれたんだからと言われて、「なるほどぉ!」と膝を叩きましたよ。

(Lmaga.jp)

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