映画「光」の河瀬直美監督、「挑戦しないと作る意味ない」

世界三大映画祭のひとつ『カンヌ国際映画祭』において、1997年に『萌の朱雀』でカメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少で獲得。2007年には『殯(もがり)の森』で最高賞に次ぐグランプリに輝いた、奈良在住の河瀬直美監督。その最新作は、永瀬正敏が弱視の天才カメラマン・雅哉を演じたラブストーリー・・・でありながら、河瀬監督らしい実に重厚な作品となっている。すでに『カンヌ国際映画祭』コンペ出品も決まった本作について、河瀬監督に話を訊いた。

「どれぐらい尖って、前作以上の驚きが自らもできるか」(河瀬直美監督)

──まずは映画『光』の『第70回カンヌ国際映画祭』コンペティション部門選出、おめでとうございます。

ありがとうございます。

──東京での舞台挨拶を動画で拝見したんですが、監督は出品の知らせを聞いて号泣したと。河瀬監督がカンヌに行く、というのはもはや当たり前と思っていたんですが、やはりそんな簡単なことでないと気づかされたというか。世界中の映画監督の、ほんのひと握りなわけですから。

そうです。コンペに入るのはとても大きなことです。それと、映画を30年近く撮ってきましたが、たぶん歴代の監督たちが、代表作と言われるものを作っている時期って40代くらいじゃないですか。その後は、おそらく客観視しすぎて尖れないと思うんですよ。そこでどれぐらい尖って、前作以上の驚き、発見が自らもできるかという。そういう意味でもすごいチャンレンジな作品だったんで。50歳という年齢が見えてくる今の時期に創る映画が、どういう広がり方をするのかというのも、やっぱり意識しましたし。

──映画作家として、どこまで尖れるか。

うん。やっぱり作品って、そういうものがないとひっかからないですね。

──今回の『光』では、前作『あん』(2015年)に出演された永瀬正敏さんと再びタッグを組んだわけですが、その起用はどういった経緯からですか?

永瀬くんは『あん』の世界に魂を置いてきてくれました。カンヌのときに、『また映画を作りましょう』と約束し、脚本も永瀬くんを想定して書きました。すると『今回も魂を置いていきます』と言ってくださって。俳優が魂を置くというのは、すごく心強い。命を削ってもそこに刻まれたい、ということですから。その意志を持っている方が全身全霊で取り組んでくださる。ありがたいことです。

──プレスに書かれた永瀬さんのインタビューを読むと、役に対する重さや覚悟は相当なものがあります。監督にとって、永瀬正敏という俳優はどういった存在なんでしょうか。

やっぱり、これしかないというのを突き詰める人だと思いますね。決して、器用じゃない。ある意味職人的というか、俳優職が天職の人なんじゃないかなと。しかもそれが、映画に特化するという、日本では非常に稀有な存在で。みんなテレビ出てるし。でも、(永瀬くんは)出ないでしょ。それってすごい覚悟だと思いますよ、今の日本において。

──今回、永瀬さんが映画デビュー作『ションベン・ライダー』(相米慎二監督)で共演した藤竜也さん、そして、同じくテレビドラマ初出演時に共演した白川和子さんという、役者としてのルーツとなるような俳優さんをキャスティングされています。そのあたりはやはり永瀬さんを意識されたのでしょうか?

藤さんは「なら国際映画祭」の流れですね。(河瀬監督がプロデュースした)映画『東の狼』(カルロス・M・キンテラ監督)に出ていただいたんですが、私の作品にも出演して欲しいと思って。でも、『ションベン・ライダー』で最初に共演されていたというのは、私は後から聞いて。白川さんも、ラインプロデューサーに「どうだろう?」って言われて、実際にお会いして良かったので。永瀬くんとの関係ではないです。

「『映画内映画』の存在自体、挑戦だった」(河瀬直美監督)

──とはいえ、監督の現場ではムダな私語は禁止されていますが、永瀬さんはちょっと気を遣っていただいたと。

まあ、藤さんですからね。藤さんも、合間を縫って仕事を入れない人なんですよ。『愛のコリーダ』(1976年・大島渚監督)に出演されて以降、大きな事務所を離れて、個人事務所でやられてきていると思うんですね。当時、『愛のコリーダ』というのはセンセーショナルな作品だったので、相当覚悟を決められたと思うんです。で、そこからはそういう作品の関わり方をされている人だから、ちゃんと分かっていただいている。そういう人は別に(ほかの俳優と)接触しても大丈夫なんだけど、なにも分かってない人が、役を全うしている最中の永瀬くんに全然違う話をするのはちょっと・・・ということです。

──今作でもそうですが、藤竜也さんの役者としての重みがすさまじいですね。

もうね、半端ないですよね。すべてにおいてレベルが違う。脚本に書かれていることは当然やりつつ、そこに深みを持たせながらちゃんと表現もできる人なんで。ほとんどなにもオーダーがなかったですね。

──なるほど。そんな今回の映画『光』、すごく興味深く拝見させていただいたんですが、複雑に組み立てられつつ、なおかつ、多角的に物事を考えさせられる脚本ながら、1本の道で繋がった映画に仕上がっています。監督がこれまで描かれてきた「生きること」。それと同時に、「映画」についても多重的に描かれていますよね。

「映画内映画」が存在していること自体、やっぱり挑戦だったし、そこでまた映画の表現じゃなくて、音声ガイドの表現を使って映画を語るということだから、何重の構造にもなっているので、非常に複雑な数式を解くみたいな。それでいて、映画を観た人がそれを解かないと観られないのではなく、シンプルなストーリーにしないとダメだったんで。

──これまで、映画で「映画」について語ったことはなかったですよね。

そうですね。やっぱり、できるかどうか分からないからやるんです。つまり、自分がこれだったらできるだろうと思うことをやっても仕方ないというか。自分自身が、スキルアップできない。だから、挑戦していかないと作る意味が無いんじゃないかなと思うんです。映画監督って、1年に何本も作れるわけじゃないから、やっぱりこの時期、このときに、これしか作れないというものに挑戦していくんです。

──そのあたり、映画として形になるかどうか、見えてくるのはどのあたりですか?脚本の段階とか?

(撮影完了後の)編集ですね。

──えっ、そこですか!?

ええ。だから編集において、あらゆる可能性を残すような撮り方をしてます。

──たとえば、映画の中盤に、障がい者の方が音声ガイドを作る美佐子(水崎綾女)に、「映画ってすごく、広い世界を生きてるんです」という諭す場面があるじゃないですか。目の見えない方々が言う重みもあって、すごく胸に突き刺さると同時に、映画そのものの深さを思い知らさせるシーンですが、あれは・・・。

あれは即興。セリフも彼女から出てきた言葉です。

──即興ですか!あのシーンはどういう想定で撮影されていたんですか。

彼女が参加した音声ガイドのモニター会に、私も同席したんです。だから、どのようなことを言うのかは分かっていて、彼女をキャスティングしました。彼女の紡ぎ出す言葉の美しさは、一度お会いしただけなんですけど、やっぱり感じていたので。

──あのシーンでは、誰よりも映画を愛して、映画のなかで生きることを楽しみにされている方だな、と思いました。

うん、そうですね。

──それと同時に、監督の映画に込めている想いというのも、同じように感じられました。あのセリフを聞いたとき、どういう思いでした?

私だけでなく、あそこにいた俳優陣全員が、あの言葉に感動しました。強いて言えば唯一、美佐子だけが分かってなかった(苦笑)。作り手として、脚本の段階ではおそらく雅哉(永瀬正敏)がそれを言わなきゃいけなかったんです。でも、雅哉ではなく、本当の視覚障がい者の方が言ってしまった。

──あのシーンでは、美佐子の分かってない感じがすごく出てましたね。

あれがリアルなんですよ。

「映画人生の集大成であらねばならぬ」(河瀬直美監督)

──監督が東京での舞台挨拶のとき、「難産だった」とおっしゃられていたのも印象的でしたが、その真意はどこにあるんでしょうか。

そうですね。永瀬くんの役に対する取り組みや、視覚障がい者としての有り様というのは、私にとって本当に力強いものだったんですけど、この美佐子が本当に分かってない。視覚障がい者のこともそうだし、私のような撮り方も初めてだったから、すごく反発するんですよね。そこで、雅哉とリアルな結びつきを作るのが、すごい難しかったですね。同じ俳優でも、まったく畑の違うところにいる人たちなので。美佐子をある種、無垢なモノに成長させていく作業が、私のなかですごい難産でしたね。

──なるほど。たしかに今作は、美佐子のなかでなにかが変わったというのがテーマでもあるわけで。

でも、(終盤の)森に入ったあたりから、すごい変わったと思います。なんていうか、自然のなかに存在させられている感じ。街で音声ガイドやっているときの気の強さから、大きなモノに抱かれる感覚のなかにいる彼女は、明らかに違ったと思いますね。

──あのシーンは、表情を出させるために監督が走らせてる、と思いました。

うん、そうですね。森のなかを丸1日歩いたりしたからこそ、あの表情が出てるんじゃないかな。

──それと今回、2011年の『朱花(はねづ)の月』以来、6年ぶりとなる奈良ロケがおこなわれています。旧市街を舞台にしたのは、『沙羅双樹』(2003年)以来です。監督がエグゼクティブ・ディレクターをつとめる「なら国際映画祭」も含めて、普段の生活も奈良じゃないですか。あえてもう一度奈良に立ち返ったのはどういった理由があるんですか。

ある意味、ここまでの映画人生の集大成であらねばならぬというときに、奈良という私の武器を使うというのは、至極自然なことなんです。街に生きながら、リアルな表現について葛藤している人々を描くというのは、私自身にも突きつけられていることですし。それに、「なら国際映画祭」をやってきたことで、映画を支えてくれる土壌が奈良にできてきたんです。だから、エキストラ集めやロケハンに時間を割かなくてよくて、ちゃんと演出だけに向き合えるんです。

──今回、永瀬さんは視力を徐々に失っていく障がい者のカメラマン役ですが、身体の不自由な方に対する奈良の街の在り方など、改めて気づかされたことってありますか?

あぁ、なるほど。そうですね、旧市街地なので、点字ブロックなんかは「なんでここで途切れてるの?」ってことが結構ありました。行政に問い合わせても、障がい者の方から言われれば直すんだけど・・・みたいな。古い街なので、バリアフリーがまだまだ確立されていないと思うんですね。外国人観光客に対しても、実はあんまり親切じゃなかったりとか(笑)、映画祭も含めて、いい意味で新しい感覚をうまく取り入れていく時期ですね。

──本作は、そういう部分にもちゃんとスポットを当てていますよね。

そうですね。すごく困ってらっしゃる人がたくさんいるってことは、見ていれば分かることなのに、それを知らなかった自分は本当に勉強不足だったというか。今回、映画を作るにあたって永瀬くんも言ってましたけど、自分たちになかった感覚が芽生えましたね。

(Lmaga.jp)

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