映画「PARKS」の瀬田なつき監督「すれ違いが好きかも」

東京「井の頭恩賜公園」と吉祥寺の街を舞台に、50年前の楽曲に込められた恋人たちの記憶、現代に生きる3人の若者たちの夢とリンクする青春音楽ムービー『PARKS パークス』。若者たちを演じるのは、橋本愛、永野芽郁、染谷将太という若手実力派。そして、メガホンをとるのは、2011年の長編デビュー映画『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』が国内外に衝撃をまき散らした瀬田なつき監督だ。実に6年ぶりとなった長編作品について、映画評論家・ミルクマン斉藤が瀬田監督を直撃した。

取材・文/ミルクマン斉藤

「映画自体、どの次元に在るのか判らないのがいいなと」(瀬田なつき)

──映画の冒頭に『井の頭恩賜公園100年実行委員会100年事業企画』と出ますけど、公園から依頼された企画ではないそうですね。

そうなんです。最初は、吉祥寺の「バウスシアター」(2014年に閉館)の社長だった本田さん(拓夫、本作の企画者)の、「井の頭公園」の映画を作りたいっていう思いから企画がスタートしたんです。吉祥寺の街に、映画の文化を残したいという思いと、ちょうど100周年ということがつながり。

──でも、物語は50年前から始まるんですよね(笑)。女子大生・純(橋本愛)の部屋に、父の元恋人の女性を探して女子高生ハル(永野芽郁)が尋ねてくる。そして、その女性の孫・トキオ(染谷将太)が遺品のなかからオープンリールテープを発見し、そこにはハルの父親たちによるラブソングが収録されている、という。テープが劣化しているため、途中までしか聴くことができず、その続きを3人が作ろうとする。

資料などを調べていると、50年前の公園の風景が、今とそこまで変わっていなかったので、ギリギリ可能かなと(笑)。

──50年前というと、フォークがビートルズの影響を受けて変わっていった頃だし、日本でも1966年のビートルズ来日を機にグループサウンズが出てきたあたりで、ちょうどダイレクトに今に繋がってる感があってこの題材にはぴったりですね。それに今回はいつにも増して、音楽と音響のコラボレーションが繊細で。

トクマルシューゴさんが音楽監修をしてくださって、その繋がりでたくさんのミュージシャンを呼んでいただいたっていうのがやっぱり大きいです。

──トクマルさんは実験的なポップミュージックで注目を集めていますよね。脚本段階から関わってられたということですが。

最初の段階では、何かを探すために公園を巡る話にしようと思っていました。そこから音楽を探すことをメインにしようと思いついて、「50年前に途中まで出来ていた曲を、50年後に完成させる」というストーリーが出来たあたりから、トクマルさんに音楽監修で加わっていただくことにしました。音楽史的な時代考証を含め、当時の若者が作る曲を、ビートルズ前だとこういうメロディかなとか、こんな風な歌詞かなとか、アンサンブルの編成もこんな感じが流行ってたとか。現場では純のギターの見せ方なども確認してもらい、音楽に説得力を持たせてくださいました。

──プロローグからとても音楽的ですよね。まず満開の桜の公園を純が走り抜けるという。それにしても瀬田さんは自転車シーンが好きですよね(笑)。

そうですね(笑)。自転車のスピード感があるし、これで一気に街というか、公園を紹介できるなと。

──で、そのとき純がメロディをハミングすると、そのハミングが伴奏音楽に組み込まれ、それが別の場所でトキオがプログラミングしている音に入りこんでいく…といった音のリレー。

はい、ちょっとずつ曲が重なっていきます。

──重なっていって、ひとつのうねりをを作りだしていくのは、ちょっと大林宣彦さんの作劇を思ったりしたんです。大林さんも音から映画作ったり、画と音と同時に考えて作られるタイプの人だから、そういう方法論というか、ノリのようなものが似てるなあと。

それは考えてなかったんですけど、試写を観た人からたまに言われたりして、「あ、そうなのか」って思いました。

──未完成の1曲…ここでは『PARK MUSIC』と仮に名づけられてるものですが、その1曲を映画全体を通してだんだん形にしていくという、変則的なミュージカルになっています。試行錯誤ののち、やがてラストで60年代のテイストと現代的なテイストが交じり合うというプロセスがいいですね。

まさに、「60年代のものをそのまま作り直すわけじゃなく、そこから今、未来(的な音楽)につながっていくような広がりをもったものにしたいです」とトクマルさんに言ったら、本当にそんなイメージの曲を作ってくださって。

──その試行錯誤の過程が面白い。純とトキオが『吉祥寺グッド・ミュージック・フェスティバル』に出るためにオープンリールの曲を一旦まとめたとき、「(60年代に元曲を)作った人の想いなんて本当のところ判らない」とか、「昔の曲を僕なりに再構成した」というようなことを言うじゃないですか? あれって、イマ的な要素が安易に入りすぎちゃったりするカヴァー曲に対するアンチテーゼに聞こえたんですけれども。

シナリオを書いているときには、あの曲をどういうアレンジにするかというのはまだできてなかったんですけれど、ちょっと方向が違ってる、自分がやりたいこととちょっとズレているけど気付いてない、みたいなところに持っていきました。

──そのズレたところもトクマルさんは、そのときの状況・心情に合わせて音楽を作っていられるわけですね。

「全然間違った方向の曲にしてしまっても、それはそれで成立してる曲じゃないとダメだね」って相談して。結局、「ロキノン系」っていう今風の流行りというか、そういう方向にしました。何も知らないで聴いたら普通にカッコいいし、永野さんは「こっちのほうもイイ」って言ってました(笑)。

──劇中でハルは、その曲を聴いて「違和感が…」って言うのに(笑)。確かにそれはそれとして成立してると思うんだけど、すごく見ていて痛々しいんですよ、あのズレ方が。そういうところもいかにもリアルなんです。この映画自体の構成にも、ズレが意識的に取り込まれてますよね。終盤になって、ハルが書いていた「小説」が現れるところで、メタ映画的な次元にいきなりぶっ飛ぶ。

そうです。でも、最初から純がモノローグを喋っているわけだし、この映画自体がどの次元に在るのか判らなくなるみたいに見えるといいなと思って。

──あそこで物語の根幹が揺れ動き、混乱することで、純とハルの同一性というか共時性というか、ちょっとシスターフッド(女性同士の連帯)的なところが浮かび上がってくる。

そう言われるとそうですね。どこにいるのか判らないけど、通じ合っているみたいな感じに見えますよね。別れた2人がカットバックされるところとか。

「好きなのかもしれない、空間や時間のすれ違い」(瀬田なつき)

──この映画はあと数分で世界初上映となるわけですが、(このインタヴューは3月12日、『大阪アジアン映画祭2017』のクロージング上映の直前に敢行)、実は今年の映画祭には『七月と安生』『姉妹関係』という2本の香港映画でシスターフッドな関係が大きく扱われていたんです。特に前者はメタ的なところも共通する。作られた時期も多分同じなので、汎アジア的に共時的に響き合っているのも映画祭の観客にとっては興味深いはずです。

そうなんですか? 私も観てみたいです。

──ところで、この映画でメインとなる3人の音楽的立場ですが。トキオは音楽をやっているけれど、ラップとかエレクトロとか今のものにしかあまり興味がない。一方、純は音楽的な知識はそんなにないけれど、ギターはそこそこ出来るし、卒論のためもあって60年代文化を調べることは調べている。で、ハルは音楽はあまり判らないけど、ただひとり過去とコンタクトしている。

そうですね、集約するとそういうことになりますね。

──トキオもハルも、オリジナル曲を作った人たちの子孫だけど、そのなかで、ハルだけが過去とチャンネルを合わせられるって設定ですよね。結局、音楽って知識とかテクニックじゃなく、もっと感覚的な共感こそが大事なんだと言ってるようにも思えたんですが。

3人が途中までしか聴けない50年前の曲を再現するわけですけど、それが本当に再現できたかどうかなんて誰も分からない。そう思ったとき、「じゃあ、過去も描こうかな」と。でも、回想やフラッシュバックで入れるのは面白くない。だったら直接、ハルが過去にフラッと行けばいいんじゃないかって(笑)。フラッと行って、なぜか馴染んでしまってて、過去のことを現代に伝えるっていう役割にしたんです。そういうことができる設定でもあるので。永野さんがそういう瞬発力で、うまくフワッと演じてくれたので、アンリアルな設定に良い塩梅で説得力を持たせてくれました。

──キャスティングは、まだ脚本を書き上げてない状態だったそうですね。永野さんは実際に素晴らしいんですが、でも今ほどそんなに露出多くなかったじゃないですか。『俺物語!!』(主演:鈴木亮平)くらいですよね?

そうです、『俺物語!!』。わたしも、ちょうど観ていて。オーディションでお会いしたときに、「演技、演技」っていう役作りでもなく、等身大で自分の延長線上で役を掴む力があるような雰囲気だったので、自分の演出にも合っているのかなと感じてお願いしました。この場面も脚本を読んだら疑問が湧くんじゃないかと思ったんですけど、すごく柔軟な対応で、役のことをすごく考えて、すぐにその瞬間の空に溶けこんで演じてくださって。

──橋本さんの演技性とはまた違いますね。

どうなんでしょう? 橋本さんは、私がどういうものを求めているのかをすごく掴む力があって。演出の意図を一言言ったらすぐに「あ、そういう方向ですね」と、具体的なことを言わなくても、見事に「それです!」を掴んで演じてくれました。純という役を、橋本さんのなかから一緒に探っていく感じでした。

──わりと理知的というか。

そういう印象でした。演じることを考えて、橋本さんだけにしか演じられない純を作っていく印象で、とても真摯で真面目でした。

──で、この3人以上に主役なのが「井の頭公園」ですよね。タイトルがこれだし、最初に「井の頭公園100年」と出ますし、やはり観る者は「場」を意識すると思うんです。

その場所をなるべく、そのまま撮ろうと。人止めなどはできなかったので、公園の使用者を邪魔せずに。ささやかに「カメラの後ろ側を通ってください」くらいの誘導はしましたが(笑)。照明をがっちり作ったりなどもせずに小さい規模で、街にカメラが入り込む感じでさっと馴染んで撮るようにしました。最後のシーンも、実はいろんな人が写り込んでいます。

──そのシーンはまさに「オープン・ザ・パーク」で、過去の人物と現代の人物がすれ違って交差する。もっともミュージカル的なシーンであるだけでなく、縦の線と横の線が交じり合うのがとても音楽的で。『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』もそうですが、監督は「交差」するのがとてもお好きですよね。

そう言われるとそうかもしれません。編集していて「あ、交差!」って(笑)。カットバックなども含めるとずいぶん?。

──意識的ではないんですか?

そうですね。すれ違いが好きなのかもしれないです。空間や時間のすれ違い。撮ってるときはそこまで意識しなかったです。ロケーションを立体的に捉えたいと思っているので、自然に縦横の交錯が多くなるのかもしれません。

──2009年の『大阪アジアン映画祭』でも上映された瀬田監督の作品、『彼方からの手紙』や『5windows』もそうですが、監督は街の空間を地図のように把握して撮られるのもお好きですね。

街自体は自由に撮れますし、良い風景をいろんなアングルで、動線が判るように切り取れれば街が立体的に見えてくる。特に今回はそのあたり、位置関係もリアルになるように、地図的に大切に撮りました。

──純が住んでたアパートも実際にあるんですか?

誰も住んでない、結構ぼろぼろなアパートがあって。今後も誰も使わないから屋内を好きにしてもいいということで、美術の方が結構作りこんでくれました。まず過去の60年代のシーンを撮って。で、またそれを洋風にしたり外観を塗り替えて現代のシーンを撮りました。今は綺麗になったままで一応残ってますが、撮影から1年経っているのでそれなりの老朽化が進んでます。まだ、あの場所にあるので、観た人は行っていただけるとまた違う楽しみがあるかもしれません(笑)。

(Lmaga.jp)

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