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三國連太郎(下)小説を書く俳優を理解した

 三國連太郎さんにとって“子役”か“犬猫”だった19歳の私が、どのような経緯で映画「旅の重さ」(1972年公開)の主役に抜てきされたのか。きっかけはオーディションでの遅刻でした。

 当時の私は文学座の研究生。1年上に桃井かおりさん、同期が松田優作さんです。劇団に内緒で応募し、写真選考を通過して迎えたオーディション当日。授業を終えて松竹の会場に向かおうとしたら、その日に限ってフジテレビのプロデューサーが劇団に来られ、ドラマに起用する若い男女を探しているということで喫茶店に呼ばれたんです。オーディションのことが言えないまま、質問攻めにあって身動き取れなくなっていました。

 途中でトイレに行ってピンク電話に10円を入れて松竹に電話したんです。集合時間から2時間くらい過ぎていましたが、受付の女性が「写真選考に通過した人は(斎藤耕一)監督が全員会いたいと言っているので、いらしてください」と。それから国鉄で有楽町に出て、松竹の会社がある東銀座まで距離があるので走りました。あれは7月でしたかね。もう、汗だくで走ったわけですよ。

 素のままで「すいません!」。バーンと部屋に飛び込んだ私はTシャツとジーパンで、汗だくの髪の毛が額にベタッと付いてるような状態。それがこの作品の少女にぴったりだったようなんです。電話で応対してくださった方のおかげで勇気を持って行ったのが、私の分岐点でした。

 後年、映画賞で三國さんとお会いした時に「お久しぶりです」とごあいさつしたら、「あぁ洋子くん、小説書いたんだってね。すごいねぇ」と温かいまなざしで言葉をかけてくださいました。私は「雨が好き」という小説で81年に中央公論新人賞をいただきましたが、当時、俳優陣の中では「そんなことして…」という目もあったわけですよ。一俳優が小説を書くなんて出過ぎたことだと。でも、三國さんは理解を示してくださいました。

 その三國さんも親鸞聖人についての著書があり、ご自身で企画、製作、脚本、監督を務めた映画「親鸞 白い道」(87年)を世に出されます。内側にあふれるような情熱のあった三國さん。再びスッピンの私と会って、また別のタイプの動物に会った気がしたんでしょうかね(笑)。体温を感じる人でした。

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