大河ドラマ「豊臣兄弟」蜂須賀正勝を説得した小一郎の説得術とは?識者語る
大河ドラマ「豊臣兄弟」第7回は「決死の築城作戦」。藤吉郎(秀吉)と寧々が結婚したことが描かれていましたが、『武功夜話』(尾張国の吉田家に伝わる先祖の武功を記した古記録。偽書との説もあり)によると、秀吉は寧々に日夜「御執心」し、その後、めでたく結婚したとあります。
同書にはその後、秀吉が墨俣に築城するために奔走する姿が記されているのです。例えば築城のことについて相談、合力を依頼するため、蜂須賀正勝(小六)や前野長康のもとを訪れたりしています。そこに弟の小一郎(秀長)を同伴させることもありました。
その件(くだり)において、秀長は「実儀の人」(誠意の人)であり、巧言(巧みに飾った言葉)を言う人ではなかったと記述されています。秀長は訥々と正勝らに次のように語りかけたと言います。「今度、兄者は墨俣への築城をお請けしたが、もし首尾良くいかない場合は、一命は無いものとの覚悟を持っています。その覚悟でもってお頼みする次第です。今度の大役成就のため、御両人の合力を伏してお願いしたい」と。
秀長は朴訥でありましたが「仁義」に篤い性格であったので、蜂須賀正勝も前野長康も秀吉はさることながら、秀長に「心ひかれ」たと『武功夜話』は記しているのです。更に秀長は両人に「諸兄らは長年、野にあって立身を望まない大侠の人です。志を通してお助けくだされ。此度のこと、兄者、一身の栄達を望んでのことではない。美濃国の平定は乱世を治める足掛かりです。是非とも諸賢の尽力を偏に願うものです」と述べるのでした。切々と懇願したのです。
訥弁ではありましたが、秀長の誠意に心動かされた蜂須賀正勝は「墨俣のことお引き受け申す」と助力を決断します。幕末の志士・吉田松陰の言葉に「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」(精一杯の誠意で相手に接すれば、それで心を動かされないものはいない)がありますが『武功夜話』の秀長の逸話もそれに通じるものと言えるでしょう。
(主要参考文献一覧)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)
(歴史学者・濱田 浩一郎)
