島田一の介 島田一門の秘話…紳助さんがあこがれたのは実はB&Bの…

 吉本新喜劇の俳優・島田一の介(68)は一見こわもてな風貌のためヤクザ役ををこなすかと思えば、定番ギャグ「ダメよダメよ、ダメなのよ」をオネエ風に放って確実に観客の笑いのツボを刺激する。今年は吉本新喜劇誕生60年という記念の年。この道40年を超える重鎮に新喜劇の魅力を尋ねると、「劇場に見に来ないとダメよダメよ、ダメなのよ~」と返された。生で見るとオモロさ100倍。一の介師匠に吉本新喜劇60年秘話を聞くと、島田一門の秘話も飛び出した。

 -一の介さんの師匠は夫婦漫才コンビの「島田洋之介・今喜多代」。一門にはB&Bの島田洋七さん、島田紳助さん、今いくよ・くるよさんらがいます。一門の思い出話を。

 そうですね。師匠について1年が過ぎた頃、「お前、そろそろ相方を探さなあかんやろ」とおっしゃったんです。それで師匠は弟子の島田洋七君をすすめてくれたんです。本名が徳永昭広君なので「徳永とコンビ組め」と。「もうすぐNHKの新人漫才コンクールがあるから受けろ」と言われました。本心は新喜劇に入りたかったんですがそれは言えません。「分かりました」と答えて徳永君とネタ合わせをしました。ところがね、僕が四国出身、徳永君が広島出身やからお互いなまりっぱなしやったんです。洋七君のほうが僕とはあかんと思たんでしょう。何回かネタ合わせして解散しました。結局、新人コンクールにも出なかったです。

 -その後、どのようにして新喜劇に入団することに。

 弟子入りして2年になる頃に決心して洋之介師匠に申し入れました。「すいません、師匠。新喜劇に入れてほしいんです」と。言い方は気を付けました。徳永君ともあきませんし、相方もいないしすみませんけど吉本新喜劇に入れてもらえませんかと。師匠は「そうか。新喜劇やりたいんか。分かった。上の人に言うわ」と。「やった」と思いました。夢がかなった(笑)。

 -じゃあ一の介さんとしては…。

 これ、師匠には言うてませんよ。弟子入りした時に「新喜劇に入りたい」なんて言うてません。怒られますからね。なんのためにわしとこ付いたんや、漫才やるためやろって怒られます。お2人が亡くなってから言ってますから。

 -なるほど。

 紳助も同じようなもんなんです。紳助が洋之介師匠に弟子入りした理由は、洋七君にあこがれたからなんです。洋七君のしゃべりにあこがれて。これはもう絶対に間違いのないことです。紳助も師匠には絶対に言うてないですよ(笑)。「実は師匠にあこがれたんじゃないんです、洋七さんにあこがれました」とは絶対に言うてないと思います。

 -いくよ・くるよさんは。

 僕が師匠に弟子入りした時には付いておられまして、1年先輩になります。

 -高校を卒業してすぐに弟子入り。

 いいえ。兵庫県尼崎市のかまぼこ会社に就職しました。2年で主任に出世したんです。でもね、くさい、くさいと言われて…。

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 島田一の介(しまだ・いちのすけ 本名・楠正泰)1950年5月8日生まれ。愛媛県宇和島市出身。71年、島田洋之助・今喜多代に入門。持ちギャグは「ダメよダメよ、ダメなのよ」。イチローが神戸で練習をした際に球拾いを務めたことも。「はらたつのりぃー」とのギャグを披露した際、「やめた方がいいですよ」とクールにダメ出しされた。

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