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BORO 「大阪で生まれた女」秘話…レコード会社は大阪弁を嫌いシングル考えず

 「ギターが主張してくる声が面白い」と語るBORO=神戸市中央区(撮影・坂部計介)
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 シンガーソングライターのBORO(64)が作り、歌った「大阪で生まれた女」は、“大阪のソウルバラード”のひとつに必ずと言っていいほど数えられる。リリースは1979年。大阪のご当地ソングと称されるほど愛されているが、ヒットの火が最初に付いたのは札幌だった。一時期ライブで封印すると、「なんで歌わへんねん!」と楽屋に怒鳴り込んでくるファンがいた。BOROは「作者の手を離れて育った」と来年40歳となる“我が子”への愛を激白した。(上)(下)で。以下は(下)。

 -フルバージョンは全18番です。

 フルバージョンは最初作った時にそれくらいあったんです。割と一気にできました。1番から18番まで全部歌うとだいたい40分くらいです。

 -著書「プロペラのない飛行機」に、「大阪で生まれた女」が誕生したのが1977年で、BOROさんは大阪の北新地にあるスナックなどで歌っていたと。店にいたカップルが「私らが歌う大阪の歌がない」と言っているのを聞いて「俺が作る」と決めたと。

 きっかけはそんなところです。サビが最初にできました。「大阪で~うまれた~女やさかい~大阪の街~よう~すてん」というのがまず出来上がって、それがすっっごいなんかね、自分の中で泣けるんです。歌うたんびに泣けるっていうのが…まあ、いつものことではあるんですけど。

 -サビが最初にというのは芸術家の方が言う「降ってくる」ような。

 そんな感じですね。だれかが作らせているようなね。いつも思うんです。曲を作っている時ってね、身構えて心構えしたときに出てきます。必ず。誰かがそういうところを狙ってんのかなと。上から見てんのか、大地からなのか。どっちか分からないけど。どっちにしても自分が作っていない気がして。そういう感覚ってすごいあるんですよ。

 -とりつかれたような。

 そうですね。このへんなんて説明していいのか難しいけど。あんまり変なこと言うと、神がかってるとか変なおっさんになるし。あんまり変な風に言いたくないけど、なんとなく自分ちゃうなって思う時があります。作家でも画家でも、創作しながら自分のことを記録係やなって思ってやってる人は多いと思います。絶対。

 -初めて聞いた時は、歌詞が関西弁であることに驚いた。

 大阪弁は当時、ばかにされていた時代で。特に東京ではいなかもん扱いされていました。レコード会社はシングルにしないと言ってましたし。

 -BOROさんが押し切った。

 押し切るというか、なんとなく雰囲気が。私以外の人がシングルカットし始めましたからね。いろんな人が。

 -萩原健一さんも。

 萩原さんとか演歌歌手の人もシングルカットし始めるんです。私のデビューは1979年6月で曲は「都会千夜一夜」です。間もなく他の歌手が「大阪で生まれた女」をシングルカットして、それで周りが「本人は歌わないのか」と言い始めたんです。私はこの歌は絶対売れると思ってたんです。絶対いけるって。まあ、全部そう思ってるんですけど(笑)。自然と周りが言い出して、それで急遽8月にシングルカットされたんです。自然な流れでした。

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