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浜村淳 話術の師匠はラジオを録音したテープ…しゃべくり稼業の原点(1)

笑顔でインタビューに答える浜村淳=MBS(撮影・山口登写真は一部加工しています)
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 話術の達人こと、映画評論家でパーソナリティーの浜村淳氏(83)は1955年、大学生時代に京都のジャズ喫茶で活動を開始した。思わぬ形で始まったジャズと映画の解説業がウケて、ラジオ局からも出演依頼が舞い込んだ。浜村節と称される神業的な話術は、一体、どこで学んだのか。映画との付き合いは幼少期にまでさかのぼる。60年を超えるしゃべくり稼業の原点を(1)(2)で届ける。以下は(1)。

 「笑福亭鶴瓶にね『あんたアホか。子供に物言うような話し方しますね』とおもしろがられたことがあるんですよ。でも、これ大事やと思うんですよね。分かりやすく語るというのは。鶴瓶には『これ大事やねん。これからも続けるねん』って言うたんですよ」

 -今は鶴瓶さんも、そんな話し方のような気がします。話術のコツを盗まれましたか。

 「あっ、ほんまや」

 -話術はどこで学んだ。

 「これはプロになる前からですが、我々の若い頃はラジオしかない時代でしたから。NHKには宮田輝さん、高橋圭三さん、志村正順さん、名アナウンサーがたくさんおりました。まずNHKの名アナウンサーのしゃべりを全部録音しました。芸能界では、落語は古今亭志ん生さん、桂米朝さん、漫談では西条凡児さん、こういう方々の話を全部テープに録り、繰り返し繰り返し聞いて、勉強したもんです」

 -全てを録音テープから学んだ。

 「そうなんです。まあ極端に言うとテープがお師匠さんです。NHKで吉川英治作『宮本武蔵』を朗読されていた話芸の名人、徳川夢声さんも、お手本にさせていただきました。近年になり、夢声さんの出身地の島根県益田市では、話芸を表芸にする者を表彰してまして、以前に永六輔さんらに続いて私も受賞し、いただきに参りました。手本にしていた夢声さんの賞をいただけたのは、うれしかったですね」

 ◆学生司会者

 -活動の始まりは学生時代だったとか。

 「同志社大学の2回生の時、昭和30年です。放送部で制作をやってました。毎年、大学野球の前夜祭が円山公園の野外音楽堂であり、同志社と立命の双方から、出演する楽団や司会者なども同じ人数を出すのが決まり。そこに同志社放送部のアナウンサーが司会で出たら立命にやじり倒されて『もういやや、あんな恐ろしい舞台はない』と出演を断ってしまったんです。そこで放送部の連中が私に『お前はアナウンサーと違うから、何を言われても平気やろ』と言い出し、司会をやりはじめたのが始まりです。それがきっかけで、当時、京都・大阪・神戸にたくさんあったジャズ喫茶から出演依頼が来たんです」

 -どんな仕事だった。

 「京都のジャズ喫茶『ベラミ』でした。私の仕事はジャズと映画の解説。学生アルバイトにしては、もらえるお金が多いんですよね。普通のアルバイトに比べたら楽ですよ。しゃべってるだけやし」

 ※以下、(2)に続く。

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