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月亭可朝 昭和の芸能界を赤裸々告白(上)芸人のギャラなんて仕事の報酬とは言えん

時には鋭く、世相を斬る月亭可朝=神戸市内
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 落語家・月亭可朝(79)は現在もっとも昔かたぎの芸人の1人と言えるだろう。酒、女、バクチ、最初の師匠・三代目林家染丸からの破門。破天荒の見本のような生き方を貫いてきた。亡くなった人間国宝・桂米朝さん一門の筆頭弟子でありつつ“歌笑曲”「嘆きのボイン」を歌って80万枚の大ヒットになった。型破りな男の生きざまの激白を(上)(下)で。以下は(上)。

 -1969年に発売した“歌笑曲”「嘆きのボイン」は80万枚の大ヒットとなった。「ボインは」で始まる歌詞は衝撃的で、月亭可朝の名は一気に全国区に。どのようにして誕生したのか。

 「歌え!ヤングタウン!」という毎日放送のラジオ番組で、リスナーを招待したイベントがあったんですわ。場所は大阪府箕面市のプールでね。前日の夜、ポーカーをやりながら何をやろうか考えていたんです。プールサイドやからお尻やオッパイがあるわけやからと思いついて、やってみたら意外とウケたんです。

 -大ヒットになった。

 イントロは梅田コマ劇場の当時の社長のおかげです。ギターが上手な人でね。僕のとこに遊びに来た時に「ギター貸してくれ」言うて、タラリラリラリラリーンってひいたんです。それええなって教えてもろて、それがイントロになったんです。あとはDマイナーとEマイナーのコードをジャラーン、ジャラーンと鳴らしてそれだけ。ギターようひかんねん。社長さんに教えてもうたから格好ついたんや。なんせ、人に恵まれとった。いっつも必要な人に会えるんです。

 -昔の芸人さんはいわゆる「飲む、打つ、買う」を実践してそれが「芸の肥やし」にもなったと。

 お笑いの世界はギャンブルみたいなもんでっせ。昔は今と違ってどこの楽屋もそうやった。鶴田浩二さんとポーカーをさせてもらったことがあります。鶴田さんが「おれ、ダウンするから可朝さん、手の内見せてくれる?」っておっしゃったことがあった。ポーカーでダウンというと放棄するいうことやからね。僕が見せたら「うわー、なんだろな」って悔しがってました。

 -可朝師匠のほうが弱い手だった。

 向こうはフラッシュ。こっちはツーペアかワンペア。

 -はったり勝ち。

 はったりというか駆け引きや。相手も駆け引き。「お笑いさんはきついね」って言わはった。

 -おもしろい時代です。

 ええ時代や。ゼニは入ってくるし、刺激はあるし、舞台もやったらやっただけ反応が返ってくるし。僕らの感覚では芸人のギャラなんて仕事した報酬じゃないわね。みんなで遊んで騒いでるだけのこと。そんなんでもらったカネを貯金するっちゅうのはおかしいわな。

 ◆◆月亭可朝◆◆(本名鈴木傑=すずき・まさる)。1938(昭和13)年神奈川県生まれ。59年4月、三代目林家染丸に入門し染奴を名乗るも破門。3代目桂米朝に入門。二代目小米朝を名乗る。68年、月亭可朝を襲名。弟子に月亭八方ら、孫弟子に八光、方正ら。71年、参院選に出馬。一夫多妻制の公約を掲げ落選。01年、参院選比例区に自由連合から出馬し落選。著書に「真面目ちゃうちゃう可朝の話」(鹿砦社)。

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