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松山聖陵高で柔道部主将、上京当初は野宿生活も

松山聖陵高柔道部の主将時代©SANKI WORLDWIDE
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 6歳から武道を始めました。武道家であった父が警察の道場で青少年に教えており、私も見学に行く中で、その影響を受けました。病弱だった体も丈夫になっていきました。

 愛媛・松山聖陵高校で柔道に打ち込みました。私は昭和36年新設の1期生で先輩がいないものだから、柔道部の主将を2年間やりましてね。この柔道で体得した受け身が「仮面ライダー」の撮影中に私の命を救うことになるのですが、詳しくはまた来月お話しましょう。

 高校での専攻は工業化学科。楽しい3年間を過ごしました。昨夏、松山聖陵は春夏通じて初の甲子園出場を果たし、うれしさと共に学生時代の思い出がよみがえりました。

 柔道に取り組む一方で、俳優を志しました。映画に魅せられてしまったのです。映画館は松山の銀天街や道後にもあって、土曜は深夜映画館で朝まで3、4本立てをよく見ましたね。欧米の映画や、もちろん日本映画も。時代劇の東映やアクションの日活…と映画三昧。映画を見たくてバイトをやっていました。母が苦労して私を育ててくれたので、自分のことは自分でやろうと。その頃から自立心が目覚めましたね。

 三越で配達のバイトとか、みかんの缶詰工場で出荷の手伝いや稲刈りとか、道後公園で花見客を相手に飲食物を売る店のお手伝いや野球場での物売りとか、松山空港から街までの電話線の配管工事などをやりましたね。卒業後の夏、3万円を手に上京。映像の世界に行くのなら、中央に行くしかないと、ジーパンにナップサック、柔道着とバイトで買った唯一の宝物である中古カメラを一個持って寝台車でトコトコと東京に向かったのです。

 東京に着いたはいいが、あてはありません。最初は上智大学前の土手の芝生で寝ていました。それから同郷の友人の下宿で寝させてもらったり、転々として。昭和39年、東京五輪の開催直前で肉体労働の仕事はたくさんありました。俳優の養成所に入り、劇団員と狭いアパートの部屋で雑魚寝して稽古場に通いながらバイトして。俳優への夢。すべてはそこから始まりました。

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